2017年5月19日金曜日

「わからない」に耐えるネガティブ・ケイパビリティ

 『理解するってどういうこと?』には、著者のエリンさんが自分の家族について書いた部分がたくさんあります。50歳前に他界した母親のこと、絶えずすばらしい対話を繰り返していた祖父たちのこと、ルネサンス人としての父や夫のこと。また、デンバーで出会った教育長や、子どもたちに働きかけ、見事に一人ひとりのよさを引き出すブルースという先生など、身近な仲間たちの姿も描かれています。各章の「よきメンター」の節には、実際に出会ったわけではないけれども、その作品を通して「理解」のありようを教えてくれたアーティストたちのことが書かれています。著者が人生で出会った人や書物とのやりとりが濃密かつわかりやすく示されているところも、この本の大きな魅力です。
 ニューヨーク・タイムスの名コラムニストであったデイヴィッド・ブルックスの『あなたの人生の科学』(夏目大訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2015年、上下2巻)もそんな本です。「認知革命」以後の脳科学の心理学の成果を踏まえながら、ハロルドとエリカという夫婦を中心に、誕生から死に至る人生におけるさまざまなシーンにおける問題が、具体的な場面をとおして分析・考察されていくのですから、思わず引き込まれてしまうのです。
 たとえば「第15章 科学と知恵」は、夫ハロルドが博物館の学芸員として勤めながら、いつしかヨーロッパの文化の歴史の解明に取り組むようになる姿が描かれるのですが、いつしか著者の筆は人間の認識と感覚の問題に及び、「謙虚さ」の考察に及びます。

人間は「わからない」ことを嫌う。それで、解釈らしきものが目の前にあるとすぐに飛びついてしまう。「わかった」ことにしたいからだ。(中略)恐怖に駆られれば、人は恐怖を早く消したいと望む。早く「わかった」状態になりたいと望むのだ。どうなった時に勝つことができ、どうなった時に負けてしまうのか、そのパターンを知りたいと望む。パターンさえわかれば恐怖から逃れられるからである。/ここで言う「謙虚な」態度とは、この「わからない」という状態に耐える態度である。賢く謙虚な人は物事を急いで理解しようとせず、自制することができる。ジョン・キーツの言う「消極的能力」を持っているのだ。消極的能力とは、不確実なものや未解決なもの、疑わしいものをそのまま受容できる能力のことである。いら立って無理に論理的、合理的な解釈を与えて終わらせようとはしない。(『あなたの人生の科学』[]99-100ページ)

 そして、「謙虚」な人がどのようにその「消極的能力(negative capability)」(「ギリシアの壺に寄せて」 (1819)の詩人ジョン・キーツがうみだした概念)を発揮するのかということについて、次のような考察が続きます。

謙虚な人は、自分がどういう誤りをしやすいかを知っていて、常に警戒を怠らない。そして、無意識の知覚にも絶えず注意を向けている。仮説を立てることはあっても、それを普遍の法則だとは考えない。新たな情報を基に絶えず仮説を更新する用意がある。いつまでも探求をやめないし、得られた情報にすぐに解釈は加えない。いったん奥にしまっておき、熟成を待つ。色々なことを同時に検討するだけでなく、一つのことを様々な角度から見る。それも、ただ見るのではなく、じっくり見る。しばらくある角度で見たら、ゆっくりと角度を変えて、またよく見るのだ。たとえ同じ人間であっても、いつも態度が同じとは限らない。だから、状況が変わった時は、すでに知っている人も知らない人と同じとみなす。行動も考え方も、生き方も笑い方もすべてが変わるという前提で見る。本人も気づかない間に、日常生活のあらゆるパターンが新しいものに変わってしまうかもしれない。そのつもりで観察する。もちろん、表面と内面の両方を見る。( 同書、101ページ)

 これが「不確実なものや未解決なもの、疑わしいものをそのまま受容できる能力」の発揮の仕方です。けっして特別なものではないのですが、「わかった」立場で物事に対するのとどこが違うのかと言えば、それは「無意識の知覚」にも絶えず注意を払っているということです。氷山の水面下の部分のように、私たちの認知活動を支えている要素に配慮するということなのです。
 『あなたの人生の科学』は、ハロルドとエリカの人生の岐路で生じる問題を、このように、科学の知見を使いながら考察していく本ですが、私たちがどのように生き、人生を終えればよいのかを考えるという目的意識に貫かれていますから、難解ではありません。心理学も哲学も脳科学も、そもそも人生の解明のために始まった学問のはずです。だからおもしろい。『理解するってどういうこと?』も、訳者たちが日本語タイトルとして選んだこのジャミカの質問が、根源的だったからこそ、読んで「わかる」ことの解明にとどまらず、人生を「わかる」ことの探究につながる本になったのだと思います。ブルックスの本からの引用を読んでいただくとわかるように、わかろうとして思い悩み、もがくことによって、その人の人生の哲学がつくり出されるのですから。

2017年5月13日土曜日

読むスタミナをつけるには? 

 
 前回のRWWW便りと関連して、今回は「読む」スタミナを培う方法を、具体的にいくつか紹介します。
 
◆『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010)の「根気よくたくさん読む」(174178ページ)というセクションでは、以下があります。

 

・それぞれの子どもが自分が集中して教室で読めた時間を記録しておき、それと同じ時間を自宅で読んでみる。

・(ここから20ページというように)読む量の目標を決めて、目標のページに付箋を貼る。

・「月曜日 家」「火曜日 学校」 等、読んだ箇所に付箋を貼る。

・読む時間を増やすためにできることをクラスで話して、その方法をリストにする。

 
◆『読書家の時間』(新評論、2014年)でも、授業中に時間を決めて、その時間、読書に夢中になることを目標にし、リーディングのフローに入れた子どもには、それはどんな感じなのかを共有してもらったり(1213ページ)、連休のあるときには「読書ジョギクング」に挑戦といった計画づくり(16ページ)の例もあります。



◆ カンファランスについての本★の中にも、「忍耐をもって、スタミナを培うというテーマ」のセクションがあるものもあり、その中に、忍耐をもって取り組み、困難を乗り越え続けた登場人物が登場する絵本を使う方法が紹介されています。


 絵本のなかで、「スタミナ」「頑張りぬく」という視点で気づいたことを、最初は先生が「考え聞かせ」で気づいたことを話します。


 子どもたちも、そのテーマで気付いたことをメモしていき、最後にそれをシェアーして、「取り組み続けるために何ができるのか」についてのリストをつくります。
 
 つまり「あきらめない、できることを考える、計画する、励まし合う、今までやっていなかった解決をトライしてみる」等々、スタミナを持って忍耐強く取り組むためのコツを、絵本の登場人物から、子どもたちにみつけてもらい、それをクラスのリストにして、励みにするのです。



*****





⇒ しかし、「読むスタミナ」を授業で取り上げると、例えば、以下のような問題が見えてくることも十分予想されます。

 

・ 選書の問題(読んでいる本に興味が持てない、難易度が合わない、ジャンルが合わない等)



・ 読み方の問題(一語一語で読んでいて、まとまりでよめないので内容が理解しにくい等)



・ 物理的環境(自宅で読めない、本が入手しにくい等)

 

 前回のRWWW便りでもありましたが、「問題をみつけ、その打開策を考える」必要がでてきます。


 おそらく、「読むスタミナを育てる」は、1回のミニ・レッスンで終わりにしないで、カンファランスとミニ・レッスンを組み合わせながら、複数回扱う、場合によってはミニ単元とする、というのも、効果的な選択肢のように思います。

 

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★Patrick A. Allen 著の Conferring という本の5162ジージが、忍耐をもって、スタミナを培うというテーマで書かれていて、上で紹介した例が書かれています。

2017年5月5日金曜日

書くスタミナ(読むスタミナ)をつけるには


 先週扱ったテーマとは逆さまの内容です。
スタミナを辞書で調べると、「体力、持久力、耐久力 気力、根気」という漢字が並びます。どれを使ったらいいか、かなり悩みましたが、カタカナでいくことにしました。理由は、どれか一つというよりも、すべてを含んでいる気がするからです。

作家の時間=WW(や読書家の時間=RW)を実践し始めて、特に書き慣れていない子や書くのが好きではない子(読み慣れていない子や読むのが好きでない子)にとって、ある一定の時間を書くこと(読むこと)に集中するのは容易ではありません。それは当然です。好きではないことややったこともないことをやらされるのは、苦痛でこそあれ、進んでやりたいはずがありません。(それは、朝の読書や図書の時間などでも、観察していれば明らかではないでしょうか? なんとか時間をやり過ごそうとしているのが見え見えです!)

しかし、自立した書き手(読み手)になってもらうために、このスタミナは欠かせません。単に、子どもたちにWWRW)のサイクルや1時間の授業の流れを伝えたり、子どもたちへの期待を語ったりしたところで、実現できるものではありません。
徐々に、時間を延ばしていくことが最も効果的です。最初から理想の時間は無理ですから。学年にもよりますが、最初は、5分ぐらいから、徐々に延ばしていくのがいいでしょう(それも、2、3分刻みで)。★
そして、この「スタミナ」をミニ・レッスンで扱うのに今ほど適した時期はありません。

具体的には、自分が好きなことを徐々に時間を延ばして取り組んでいることを伝えることができます。例としては、ジョギング、ハイキングや山登りなどが考えられます。
最初から、フルマラソンやハーフマラソンを走れる人は(ほとんど)いませんが、徐々に走る距離を増やせることを話すのです。
私の場合は、働き始めてからしばらく昼休みに走っていたことがあるのですが、同じ距離を走るのに徐々に時間を短くすることに生きがいを感じていたことは話せます。(スタミナとはちょっと違いますが、同じ時間で走るなら、距離は確実に延ばせていたことを意味します。)
このような具体例でイメージをつかんでもらえた後は(次の時間以降の何回かのミニ・レッスンで)、スタミナを得るための方法を紹介していきます。

●行き詰まり状態を打開する方法
 まず、書けない/書き進めない理由をあげると、以下のようなものが考えられます。
     ・テーマ
     ・不安/恐れ
     ・完璧でないといけないという思い込み

 問題を出しきった後で、それらの問題を乗り越える方法を、練習もしながら紹介していきます。
     ・描いてみる
     ・文章ではなく、書けそうなことのリストを作ってみる
     ・書く場所を変えてみる
     ・音楽をかけてみる
     ・しばらくそれを脇に置き、他のテーマで書いてみる
     ・フリー・ライティング★★をする。

 最後のフリー・ライティングは、頭ではなくて、筆に書かせる方法です。たとえば、「何を書いていいのかわからない。さっぱりわからない。まったくわからない。こんなに長い時間書くようにしないでほしい。鉛筆をもっている手はいたくなるし、もう考えられない! おじいちゃんについて何か書けるかな? 先週末、二人でハイキングに行ったことなら書けるかも」という感じです。

●困った時の「きっかけ集」
 上の「行き詰まり状態を打開する方法」で、かなりの前進は見られますが、すべての問題が解消されるわけではありません。
 次の段階では、困った時の助けになる掲示物を、子どもたちといっしょに作ります。実際に書けるようにするための「きっかけ集」です。

書けない時には、
◆見る
 ・好きな作家やメンター・テキスト
 ・作家ノート
 ・問題を乗り越える方法を全部試したかの確認
◆聞く
 ・先生が他の子とカンファランスをしているのを
 ・他の子たちがピア・カンファランスしているのを
◆行動する
 ・自分が書いているものへのフィードバックを友だちからもらう
 ・それでもダメなら、先生の助けを借りる
◆振り返る
 ・書き手として、この問題を乗り越えるために自分がしたことは何か?
 ・その中で何は助けにならなかったのか?
 ・先生とはどう話し合うと効果的か(カンファランスのもち方は)?

 書くことも、読むことも、教師ががんばって教えることに大きな価値はありません。何よりも大切なことは、子どもたちが自立した書き手や読み手になることですから。(以上で紹介したのは、書くこと=WWでの事例でしたが、読むこと=RWではどのようなことが可能だと思いますか? 他の教科では?)

 自立した書き手や読み手に求められることは、教科書をカバーする授業よりも何倍もハードルが高いです。それを実現するためには、様々な形のサポートが必要です。WWRWでしていることは、単に書くことや読むことで活かせるだけではありません。他の教科や様々な人生の局面でも使えることばかりです!(←当然のことながら、国語をはじめ現在行われている教科指導ではほとんど無視されていることですから、これもWWRWを実践する大きな魅力です。生きていく上で役に立たないものを学校で時間を掛けてすることにいったい何の価値があるでしょうか?)


★ 確実に成功体験を積み上げていくことが大切です!
★★ フリー・ライティングについては、http://www.geocities.jp/deepbreathinghp/freewriting.htm


2017年4月29日土曜日

読書のフロー状態を抜けるための読み方 ~「読者の権利10箇条」を思い出しつつ~



RWでは目的やジャンルに応じて、いろいろな読み方を教えます。

 

それは、ちょうど書くときに、構想下書き推敲校正出版というプロセスが、一つの決まりきった、直線的なプロセスとして進まないことを教えるのと、似ているのかもしれません。

 

1冊を読了するまでに、「1ページ目から直線的に最後のページに向って読み進む」以外の読み方が「あり」なことを学ぶことは、現実に即していると思います。

 

そんなことを改めて思ったのは、ここ数日、私自身がある本を読み始めて、「リーディングのフロー状態から抜ける読み方」をせざるを得なかったからです。

 

通勤の帰路、RW関係の本の中で出てきた中学生ぐらいが対象の本を読み始めました。それが面白くて、就寝前に「今日、途中までになっている章だけ読み終えて寝よう」と思ったのですが、その章でやめることができないのです。「まずい!」と思いました。

 

「自律心をもって、決めたところで本を閉じる」という強い決意も必要だと思いますが、「どうしても、本を閉じれないときの対応方法」がないと、次の日、寝不足で体調を崩すことになります。「フローから抜けなければいけないときにどう対応するのか」というのも、学期が進むと一つのミニ・レッスンのトピックかも、と思いました。

 

しおりをはさんで「今日はここまで」はできませんが、かといって最後だけ読むこともしたくなかったので、今回、私が行ったのは、「超とばし読み」でした。それで、なんとか最後まで目を通して、眠りにつきました。翌日からは、結末も、そこに辿り着くまでのストーリーもわかっているので、「安心して、心安らかに?」、超とばし読みした章を、じっくり、読みたいところから読んでいます。

 

本によっては目次のタイトルだけ読む、とか、レビューやあらすじを読む等、いろいろな方法はああると思います。今回の場合は、私は読み直しを十分に楽しめているので、自分としては「悪くなかった」方法で、今後、一つの選択肢として、再度使うこともありそうです。

 

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 リーディングのフロー状態(リーディング・ゾーン)から、抜けざるを得なかったことを考えているうちに、ブログRWWW便り(http://wwletter.blogspot.jp/)でも、度々とりあげている、ダニエル・ペナック氏の「読者の権利 10箇条」を思い出しました。(例えば、2012420日や20121117日です。)

 

 第2条の「飛ばし読みする権利」はまさに私がフローから抜けるために必要としていたことでしたし、翌日からは、第3条の「読み返す権利」を楽しんでいます。読んでいる間は、第6条の「本の世界に入り込んで空想し・現実逃避する権利」でしょうか。

 

 それだけフローになった本だと、どんなすごい本か、と思われるかもしれませんが、おそらく私と波長があっただけで、他の人が高く評価するか?と言われると自信は全くありません。第10条の権利は、「自分の好みを擁護しなくてよい権利」(The right to not defend your tastes)となっているので、理由や言い訳を書かなくてよいのも嬉しいです。

 

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・読者の権利10箇条は、邦訳があり、『ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条』ダニエル・ペナック著、藤原書店、2006年です。

 

私と波長が合ってしまった本は、邦訳が出ていませんが、中学生ぐらいが対象の本で、Gordon Korman 著 『Schooled』、 Disney Hyperion, 2007です。

 


2017年4月21日金曜日

「自分がなにを知らないか」を知る


 まずは、次の話を読んでみてください。

 ある男がその息子を乗せて車を運転していた。すると、車はダンプカーと激突して大破した。
    救急車で搬送中に、運転していた父親は死亡し、息子は意識不明の重体。
  救急病院の手術室で、運びこまれてきた後者の顔を見た外科医は行きを呑んで、つぎ のような意味のことを口にした。
  「自分はこの手術はできない。なぜならこの怪我人は自分の息子だからだ。」
  これはいったいどういうことか?

 千野帽子さんの『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書27320173月)の冒頭に出てくる「なぞなぞ」です。かなり悲惨は話だと思うのですが、立派な「なぞなぞ」です。答えることができますか? 私は残念ながらさっぱりわかりませんでした。
 この「なぞなぞ」の答えを探ることは、実のところ「わかる」ことの秘密を探ることにつながります。千野さんはこの「なぞなぞ」によって「人間の思考の枠組のひとつである「物語」がどういうものであるか」を教えられたと書いています。しかもそれは、正解を知ったあとだったと言っています。でも、正解を書くわけにはいきませんので、それはぜひ千野さんの本を読んで確かめてください。
 千野さんの本には次のような魅力的な言葉があふれいています。

人間の行動を、ときには、行動した当人ですら、自分がすでに持っているストーリーのパターンで説明してしまいがちだということ、これはたいへん興味深い現象です。人は、自分の行動の動機を説明するのにも、ありもののストーリーを借りてしまう。
 (『人はなぜ物語を求めるのか』139ページ)

ストーリーを言葉で物語るとき、その本文はじつは、(中略)「空所」だらけです。それでも人間はその本文を読み解いて、自分なりにストーリーを構成することができます、そのとき、僕らは手持ちの解釈格子を使っています。
 (『人はなぜ物語を求めるのか』196ページ)

 先ほどの「なぞなぞ」に答えられなかった私のような人は、答えるために重要な情報についての「空所」を自動的にかつ受動的に埋めてしまっていて、自分が知らず知らずのうちにそうしてしまっていること自体に気づかないというわけです。自分の「手持ちの解釈格子」や「ありもののストーリー」が曲者ですね。それゆえに、先ほどの「なぞなぞ」で、状況は具体的に説明されてあっても、よく「わからない」状態に陥ってしまうのです。
 この「なぞなぞ」の正解を知った私は「あぁそうかぁ」では終わらなかったのです。「やられたぁ」でもなかったのです。千野さんの言葉を借りれば、「自分がなにを知らないか」を知ることができたという感慨のようなものを感じていました。これは『理解するってどういうこと?』の41ページに示されている「多様な理解の種類」のなかで「新しい知識や考えや意見を取り入れることで、自分の思考を修正する」ということになるでしょうか。
 この本の「物語」はまさしく「理解」の枠組みのことです。「自分がなにを知らないか」を知る、というのはとても大切な理解の種類ですし、人類の哲学的知見の基盤をなすものでもあります。最新の物語論(ナラトロジー)の幅広い知識(文芸批評だけでなく、社会言語学のそれも含めて)を駆使しながら展開される千野さんの文章は、私の見たところ、すぐれた「理解」論でもあり、平明な言葉で書かれた「理解」哲学でもありました。

2017年4月14日金曜日

年度の初めの「評価」こそが大切


日本で「評価」は、「教えた後にするもの」というイメージが強いのではないでしょうか?

でも、評価には、診断的評価、形成的評価、総括的評価の3種類があります。

「教えた後にする評価」は、総括的評価です。成績というか、評定というか。

しかし、残念ながら成績や評定(=総括的評価)で、子どもたちの学びは改善しません。
教師の教え方も改善しません。

その意味で、総括的評価(成績や評定)よりも大切なのは、診断的評価と形成的評価です。

そして、いまがまさに診断的評価をする時期です。教える前にする評価です。
これをすると、誰に、何を、どう教えたらいいのかが変わりますから、教師にとって他のどれよりも価値があります。(もちろん、形成的評価も、誰に、何を、どう教えたらいいかを左右します! 左右しない場合は、単純にそれをしていないか、していてもその重要性を認識していない、ということになるかと思います。文科省が、17~8年前に「指導と評価の一体化」の名の下に言い始めたことは、まさにそういうことでした。)

子どもたちの状況や様子を知ったら(それも集団としてではなくて、一人ひとりの★、です!)、予定したことを予定通りには教えられなくなることが多々あることになります。
なぜなら、状況や様子がみんな同じなんてことはあり得ませんから!
ある子は、予定していたことはすでに知っていたり、ある子は、予定していたことの前提すらおぼつかなかったり、別な子にとっては予定したことがピッタリだったり、という感じです。当然のことながら、ピッタリの子には予定通りでいいわけですが、すでに知っていたり、できてしまっていたりする子に予定していたことを教えることは、嫌われるだけです。そして、予定したことの前提になるものすらまだ押さえていない子にとっては、意味のない時間になることが約束されています(ちなみに、すでに知っている子にとっても意味のない時間です!)。
 そんな中で、通常教師が予定していた授業がどれだけ機能するかというと、よくて3分の1ぐらいの子たちにしか機能しないことがわかります。ということは、予定したとおり進めると、3分の2ぐらいの子たちにとっては、きわめて面白くない授業というか、意味のない授業が続くことが約束されているということになります。まさに、診断的評価や形成的評価は、それを修正・改善するためにあるといっても過言ではありません!

 もし、このようなこと(=子どもたちの学びを最大化するために、教師が誰に、何を、どう教えたらいいのかを判断する材料を提供し、その判断に基づいて最善の授業をすること)を実現するために、「評価」という言葉を使うのは受け入れがたいというのであれば、「観察」でも、「見とり」でも、「子ども理解」でもいいです。

 年度の最初の数週間に(もちろん、年度の最後まで継続してやり続けることは、価値のあることです! 力点を少しずつ変更しながら)教師がすべきことは、子どもたちの評価ノートならぬ観察ノートを持って、子どもたちが何はできるのかや、何は知っているのかの記録をつけることです。子どもたちの興味・関心についても記録します。(特に、読み・書き・聞く・話すに関連したことは。しかし、それらに限定しないことがポイントです。一般的な興味・関心やこだわりが、読み・書き・聞く・話すの指導をする際の大きな助けになるからです。)
 この観察と記録の期間中に、教師が問うべき質問としては以下のようなものがあります。

・この子の自信のもち具合は?
・この子の読み・書きに対する態度は?
・どんな本を読んだり、書いたりするのが好きか?
・目的をもって読んだり、書いたりしているか?
・物語のセンスのようなものはもっているか?
・どんなこと(もの、本・・・)をおもしろい/楽しいと思っているか?
・読み・書きを関連したものとして捉えているか?
・どんな話し方をするか?(それと、書くこととの関係は?)
・自分のしていることをモニターして、修正・改善することができているか?
・これまでどんな読み・書きの体験をもっているのか?
・どんな読み・書きの方法★★をすでに身につけているのか?
・どんな優れた点があるか(=他の子たちの見本になるようなものをもっているか)?

 根底にあるのは、一人ひとりの子どもを読み手、書き手、聞き手、話し手、考え手、学び手・・・そして素晴らしい人間として、よく知るということです。


★ 一人ひとりをいかす教え方を実現するためには、評価が大切なことが『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ ~ 「違い」を力に変える学び方・教え方』キャロル・トムリンソン著、北大路書房には繰り返し紹介されています。具体的な把握の仕方も。
★★ 読みの方法は、主には、『「読む力」はこうしてつける』新評論や『理解するってどういうこと?』新曜社で紹介されている「7つの理解のための方法」のことです。
   書くときの方法は、『作家の時間』新評論で紹介されている「作家の技」のことです。
★★★ 当然のことながら、上に書いたことは、国語の授業だけでなく、すべての教科に当てはまります。


2017年4月7日金曜日

「12ページのメモや下書きの価値 ➡ 子どもに出す課題に真剣に取り組み、その過程を見せる」

 RWWWの中学校レベルの優れた実践者、ナンシー・アトウェル氏は、詩というジャンルを教えるときには、毎年、ある週末を使って、自分の書けそうな題材リストから、実際に詩を書いて、そして、その過程を子どもたちに伝えています。

 詩を書くために、題材を決め、ブレインストーミングをしたり、メモを取ったり、下書きをしたり、書き直したりし、題名の候補リストを作ったり等々、いろいろなことを行っていますし、校正もします。

 アトウェル氏の本の中にその詩が紹介されていますが、その詩のあとに、「ここまで書くのに12ページのメモや下書きが必要でした」と書かれています。★

 アトウェル氏は、12ページのメモや下書きのプロセスを、プロセスを経た順に並べて子どもたちに渡し、書き手のたどるプロセスを考えさせ、かつ、子どもたちからの質問を受け付けています。

 子どもたちからの質問を見ていると「どうして○○を○○に変えたの?」等、書き手が行っているいろいろな苦労や工夫に目が留まっているのがよくわかります。

 その後には、「いいものを書こうとしている人が行っていること」をみんなで具体的に考え、言語化しています。書き手が行っていることが、本当に多岐にわたり、リストされていますが、たしかに実際に行っていることなので、納得です。

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 これを読みながら、いいものを書きたいと思っている人が真剣に取り組んでいるその過程を、はっきりわかるように見せることの、教育的な価値を感じます。

 ➔ そう思うと、新学期、自分が出そうと思っている課題の一つを、自分で真剣に取り組み、その過程をはっきりと段階を追って見せる、ということをやってみたくなります。

 書くことでも、読むことでもいいと思います。その課題を自分がどのように取り組むのか、その過程でどういうことを具体的に行っているのか、その結果、どんな学びをしているのか、それを子どもたちと一緒に辿れるように準備する、ということです。

 書くとき、読むときに、実際に行っている苦労や工夫は、先生は表に出さない(子どもに見せない)ことが、意外に多いかもしれません。

 でも、時にはミニ・レッスンでそれを見せることで、単に「ポーズとして」モデルを見せるのではなくて、本当の意味でモデルを見せることができるように思います。

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★ Nancie Atwell 著 In the Middle: A Lifetime of Learnng About Writing, Reading and Adolescents (third edition) Heinemann 社より出版、詩を書く過程で行っていること、それを共有することについての学びは、109~114ページに詳しく書かれています。