2017年6月23日金曜日

「およそ1分の読み聞かせに魅せられて」

  絵本 『アヒルだってば!ウサギでしょ!』(エイミー・クローズ・ローゼンタール著、今井祥智訳、サンマーク出版)に、はまってしまいました。

 インターネット上で使えるものを検索しているときに、この絵本の英語版の読み聞かせの動画に出合いました。★ 読み聞かせ自体は1分10秒という短さなので、あっという間に終了です。
 
(たった1分10秒なので、百聞は一見にしかずで、ブログの最後に書いたURLで楽しんでください!)

 見えている動物が、アヒルなのかウサギなのか、アヒルと思っている子どもとウサギを思っている子どもとのやりとり、それだけです。

 (最初に見はじめたときは、「最後にどちらでもない第3の動物がでてきて、どっちも間違っていた、で終わる」と勝手に予想しましたが、私の予想は、見事にはずれました。)

 これを楽しんでいて、3つのことを思い出しました。

(1)ブッククラブのためには、知人は「1回目は楽しむために読む、2回目はブッククラブで語りたいポイントを意識して読みなおす」と、言っていることを思い出しました。そう思って見直すと、たとえ1分の本でも、語りたいポイントがあることに気づきます。

 上に書いたような予想を裏切られるのもいいですし、 アヒルとウサギという、実際には見間違うことがありえない設定もいいなと思います。はたから見るとありえないようなバカバカしいことでお互いに譲らないということは、大人でもありそうですし、お互いに主張しているだけでは、どこにも行きつかないこともよくわかります。

(2)少し前に「作家について調べる」というテーマを扱い、そのときに書かれていた以下のことを思い出しました。★★
 小学校では「作家について学ぶ」ときには、次3つのタイプがあり、それぞれにメリットはあるものの、先生はどれか一つに限定せずに、この3つすべてを意識して、「作家について学ぶ」を扱うとよいと書いてありました。

①作家について調べて、作家の生涯と作品とのつながりを考える。
②作家の生涯については特に注目せずに、その作家の作品に焦点をあてて、テーマ、登場人物などを論じる。
③作家の作品について、そこから自分が得たことや自分への影響など、自分自身との関わりから考える。

 まずは①ということで、この作家について調べてみたくなりますし、他の本を読んでみたくもなります。そこで、さっそく、この作家のウエブサイトを見たりしています。検索している間に、今年3月に51歳でなくなったということも知りました。


(3)絵本は短時間で完結できるので、メンター・テキストやミニ・レッスンにとても使いやすいです。特に1分強という短さは魅力なので、この本から使えるミニ・レッスンを考え始めています。



*****

 たった1分の読み聞かせでも、そこからいろいろ思い出したり、広がりが生まれたりと、本との関わりが、より楽しめる気がしますが、これも、RWの魅力かもしれません。


★ 英語版の読み聞かせは以下で見れます。1分強ですし、何よりも楽しい!です。この絵本の場合は字幕も出ます。
https://www.youtube.com/watch?v=hPCoe-6RRks&feature=youtu.be
なお、これは Storytime Online というサイトでの読み聞かせですが、Youtube にもいくつかあがっているこの絵本の、他の読み聞かせビデオと比較すると、少し話を短くし、終わり方も少し異なるようです。なお、Storytime Online のサイトでは、英語ですが、この絵本以外にも100冊以上の読み聞かせが見れます。

★★ 教師や親向けのリーディングについてのサイト Reading Rockets の中に、The Author Study Toolkit というのがあり、その4ページに載っていました。この部分はpdfでダウンロードもできます。
http://www.readingrockets.org/content/pdfs/authortoolkit_rr.pdf

2017年6月16日金曜日

物語を書くための本に物語を理解する秘訣を学ぶ!


 キーンの『理解するってどういうこと?』では「推測する」を「本や文章から自分独自の意味をつくり出すプロセス」であり、「読んだ内容とそれまでに自分がもっている知識を結びつける形でつくり出される」としています。しかし「推測する」は、読者が「自分独自の意味をつくり出すプロセス」ではありますが、自分勝手に妄想を広げることではもちろんありません。読み手と書き手との対話的な共同作業のなかで営まれる行為なのです。
 リサ・クロン(府川由美恵訳)『脳が読みたくなるストーリーの書き方』(フィルムアート社、2016年)という本を読んで、そのような思いを強くしました。たとえば、読み手の「推測する」行為をいざなう書き手に「伏線」がありますが、クロンの本には次のように述べられています。

伏線を見つけ、何が起きるかを予測し、そのとおりになれば、賢くなったような気分を味わえる。伏線は、人が持つあらゆる感覚のなかでも最古のもののひとつ、関心という感覚で読者を誘い込む。伏線によって、読者はそこに自分も関わっているという感覚、目的意識の感覚を感じ、何かの一部になったような気持ちを覚える--内部事情を知った気になれる。作者が読者に伝える暗号、それが伏線だ。伏線を見つけた瞬間から、読者は伏線回収につながるパターンを熱心に追うのが自分の仕事だと認識する。そして奔放にそれに取り組み、その時間を余すところなく味わう。寝る時刻を大幅に過ぎても、物語を読み続けてしまう。(『脳が読みたくなるストーリーの書き方』320ページ)

 伏線とは「事実、行動、人、出来事など、将来の動きを暗示するもの」のこと。
 小学校5年生の国語教科書に出てくる、杉みき子の「わらぐつの中の神様」という物語をご存知でしょうか。雪国に暮らすマサヨという女の子(ヒロインです)が、雪が積もっているので「わらぐつ」を履くように言われ、「みっともない」といやがったところ、祖母から「わらぐつ」にまつわるあたたかい話を聞くことになります。この話の場合、冒頭でマサヨが「わらぐつ」を履くのをなぜ嫌がったということが「伏線」となるでしょうし、冒頭のシーンで祖父がお風呂に出かけて不在であるということも「伏線」となるでしょう。祖母の話が終わるころまで、これらの「伏線」は回収される(読者が「つながり」を見つける)はずです。「わらぐつ」を履くのを嫌がっていたマサヨが祖母の話の聞き手になったことやその間の祖父の不在と、マサヨの変化とのつながりを見つけることが「伏線回収」であり、「わらぐつの中の神様」を意味づける行為となります。
 「伏線」だけではありません。『脳が読みたくなるストーリーの書き方』には次のようなことも書かれています。

面白い物語が脳に喜びを解き放ち、人間を混乱のたえない日常生活からきっぱりと切り離してくれるのは、生き残りの観点からみてどんな理由があるのだろう? 答えは明快だ。ほかの誰かが自分の代理として、飛んでくる運命の石や矢に苦しめられているところをのんびりとながめ、その矢が自分に向かってきたらどう避ければいいかを学ぶためだ。(『脳が読みたくなるストーリーの書き方』289ページ)

 どうして面白い物語を私たちが求めて読むのか、それを読む喜びは人生の何の役に立つのかということについての筆者なりの回答が、さりげなくこのようなかたちで随所に置かれているところも、この本の魅力です。そしてクロンの本は、物語を読むことについての本ではなくて、あくまでも物語を書くことについての本なのです! だからこそ、物語を書こうとする「あなた」に対して呼びかけるかたちで書かれているこの本から、読み手として本や文章のどこに着眼すればよいのかということについてのたくさんのヒントをもらいました。この本を読むことで、「推測する」をはじめとする理解するための方法が、読み/書きの両方にかかわるものだということを改めて実感したのです。

2017年6月9日金曜日

「何が大切かを見極める」ことは、生きていく上で欠かせない!


いま、『「読む力」はこうしてつける』(新評論、2010年)のネットでのブッククラブをしています。その第10章「何が大切かを見極める」のやり取りを紹介します。
あなたは、Aさん~Cさんの書き込みや反応に、どのようなフィードバックをしますか?

Aさんの書き込み:
 僕は、「何が大切かを見極める」は読書とか学習とかよりももっと大きな枠で、生きていく上で大切なのだと思います。
 強引に言い換えれば、「決める」ということかな。目の前にある情報や、人に言われたこととか、自分に影響を与えることは、自分にも処理しきれないぐらい多くあって、それでも「決める」ということをしていなかなければならない。自分の体力も気力も時間も空間も有限だし、あれもこれもと選んでいると、自分の中がゴミ屋敷のようになってしまう。そうならないために、「何が大切かを見極める」をして、「決める」をしなければならない。
 学校って、あらすじだけ書かれた読書感想文のようだと感じる時があります。主体者がいない。知らず知らずのうちに、授業の中に学び手である「自分」がいなくなってしまう。黒板にかかれているものは全部大切で、テストに出ることは全部大切。でも、本当に大切なのは、自分にとって大切なことであり、その大切なことから自分が考え出したこと。当たり前だけど、それをやるのはとても大変だから、右耳から入って左耳へと通り抜けるように、自分を希薄にしているのだと思います。
 もっと「自分で決める」ということを大切にした学校を作っていかなければならないですね。
 話が随分変な方向にいってしまいました。
 読み方というのを、もっと学生のときに早く教わりたかったです。精読だけでなくて、速読とか芋づる読書とか。本当の本を使わないで授業を受けてきたから、そういうものに出会うのが遅れてしまったのだと思います。
 自分が大学生とか社会人に成りたてのとき、整理整頓の仕方の本に出会って、本当にびっくりしました。本ってこんなものまであるのか!と。当たり前と思うかもしれませんが、あらゆるテーマの本があるということすら、真剣に考えたことがなかったんです。本は勉強のことしか書いてないと思っていた。自分に日常生活をちょっと楽しくする本もあることを知らなかったのです。(みなさんもそう言う経験ないですか?)
 だから、本の読み方の本を見たときも、びっくりしました。速読なんて考えもしなかったです。せいぜい、早く読むというのは、熟読を早く行うぐらいのレベルでしか考えていなかった。学校で、生の本を使って授業が行われていれば、選書とか、速読とか、そういうものにも触れ合えていたのだと思います。

Bさんのコメント:
「決める」に関係するのですが、人生は選択の連続だと感じています。進路や就職、仕事の進め方。大人になるにつれて「自分が」何を大切にするかを知ることが重要になっていくと思いました。
自分が大切にすること
他人が大切だと言っていること
この2つを区分することは、私自身最近自覚しだしたように思います。もっとそれは早く気づきたかったなと思います。
自己中心になるわけではなくて、自他を区別するんだと伝えることはできるんじゃないかな?と思っています。
特に強く感じるのは、司書の役目として、レポート作成方法を教えるような時です。
小学生の調べ学習は、作者の意見を盲目的に要約しているだけで自身の考えを論じるところまで至らないものが多くて、「これは…レポートではなくて下調べに過ぎないのでは?」と感じることが多いです。それで先生がよろしい、としているのなら、私にそれ以上は口を出せません。引用や出典のことを話しても、あまりピンときていない。とても大切なことなのに。

Aさんの反応:
自分の考えを表す環境に置かれていないと、子どもはなかなかできないですね。親や教師も意図して考えを表現するように言っていかないと、易きに流れると思います。外国の学校はこういうところ、しっかりやってるから、うちの学校も頑張らないとね。
話を聞きなさいと言い過ぎているのかなあ。教師としては、難しいところです。引用や出典は大切にしたいね。図書館でそういうことを伝えていくことって本当に大切だと思う。

Cさんのコメント:
皆さん、司書の方が、「調べ学習」と「探究学習」の違いを、うまく整理してくれました。司書の方々が出しくれている本の多くは、残念ながら、「調べ学習」に対応するレベルのものですが・・・・・ぜひ早く「探究」の方にシフトしないと!★

「何が大切かを見極め」られないことの練習をあえてやり続けているのが、https://www.facebook.com/TheGiverJapan/ の5月31日の「改めるべき成果出ない長時間練習」で、その結果が、6月1日の「森友問題、そして加計問題」や6日の「いまの政権の道徳教育」という形で表れている気がします。
要するに、世の中に蔓延しています。
少なくとも学校や大学の期間中を通して(いや、幼稚園から?!)練習し続けているのですから、他のやり方があるとはなかなか気づけません! 文科省の優秀な官僚たちですら?(ましてや、政治家たちでしょうか?)

★ これは、作家のサイクルや読書のサイクルと基本的には同じの「探究のサイクル」を回し続けることを意味します。イベント的にやっても、身につくものではありませんから。


2017年6月2日金曜日

詩の美味しい食べ方(お行儀悪くてもOK!)

 2013年9月13日のRWWW便りのブログで、ビリー・コリンズ(Billy Collins)という詩人が、「詩とは」という題名の詩で書いている、最後の5行を紹介しました。読者が詩を読むときに「したがる」ことが描かれています。


   <略>

         しかし読者がしたがるのは
       ロープでイスに詩を縛りつけて
        告白させようと拷問すること

           ホースで詩をたたき
        本当に意味しているものを見つけようとする

 (この詩は『ビリー・コリンズ詩選集 エミリー・ディキンスンの着衣を剥ぐ』小泉純一訳、国文社、2005年、42-43ページにあります。)

上の5行は「しないほうがいいこと」かと思いますが、 最近、「詩はおいしく食べれる!」と思える、子どもが楽しめそうな詩に出合って、なんだか嬉しくなりました。

ご存じの方も多いと思いますが、以下のイブ・メリアムの書いた、「詩の食べ方」という詩です。

「詩の食べ方」

   お行儀なんか気にしなくていい。
 そのまま指でつまんで、
 がぶっとかぶりついて大丈夫
 もし汁がでて、あごからたれたら
 ペロッとなめちゃえばいい。
 すっかり熟して、もう食べごろだから
 いつもで好きなときにどうぞ。
 ナイフもフォークも
 スプーンもお皿も
  いらない。
 もちろんナプキンもテーブルクロスも。
 皮とか茎とか芯とか、ペッと
 はきだす種とか、
 捨てるところは
 なんにもないはず。

 『ガラガラヘビの味 アメリカ子ども詩集』
  アーサー・ビナード/木坂 涼編訳 12-13ページ

 個人的には、この短い詩、数回読み直して、楽しんでいます。最初はがぶっとお行儀悪くかぶりついて、全体を楽しみました。

  それから最後の4行がちょっと、分かりにくくて読み直しました。

  そうしていいる間に、最後の2行「捨てるところは/なんにもないはず」が頭に響き、そこから中学レベルのRWとWWの優れた実践者、ナンシー・アトウェル氏が自分の授業で、自分の詩を書くプロセスを子どもに伝えるレッスンを思いだしました(2017年4月7日のRWWW便り「12ページのメモや下書きの価値 ⇒ 子どもに出す課題に真剣に取り組み、その過程を見せる」参照)。

  このプロセスでは、アトウェル氏の詩はさらっと書かれているようで、実は一語一語の選択まで、とても丁寧に推敲されていることがわかります。それで「捨てるところはない」ことに納得です。

 こんな短い詩なのに、この詩でブッククラブ(ポエム・クラブ?)ができると思えるぐらい、短時間でいろいろな考えが浮かびました。

 「詩」って、美味しくて楽しいもの!」なんですね、と思わせてくれた詩でした。


2017年5月26日金曜日

カンファランスの大切さ(再考)


作家の時間と読書家の時間の核は、子どもたちがひたすら書いたり、読んだりしている時間=教師はカンファランスをしている時間です。

When Writers Drive the Workshopの「第1章 カンファランス ~ 子どもたちが運転席に座る」で、カンファランスについて大切なことが盛りだくさん紹介されていたので、その一部をここで紹介します。すでに実践している方は、再確認用に、まだ実践されていない方は、早速導入するための動機づけにしてください。(数字は、本のページ数です。カッコ内の青字/斜体は、私のコメントです。)

11  機械的に褒め言葉から始めちゃ、ダメ!
 正直な感想/反応こそ、書き手が求めているもの。

  カンファランスを「子どもの言うことを聴いて、褒めて、教えて、次のステップを確認して、記録を残して」というふうに機械的に捉えていては、教師主導の授業にしかならない。大切なのは「子ども(書き手)」。 子どもが書いている作品ですらない! 子どもが求めていること/書いたことに真剣に向き合ったら、やれることは自ずと違う。

◆ カンファランスをする際の指針
1. 生徒の話を聞くことは、教えることが好きだからできること!
2. 教師が話すことよりも問いかけることが大事
3. 書き手(子ども)が話し合う内容を決める ~ しっかり振り返るために。教師の役割はそれのサポート。
4. 書き手は本音の反応を欲しがっている ~ それによって、読み手とつながれるかを把握できるのだから、極めて重要!

  以前の私(著者)は、子どもたちが書いている時間は、教師が次にすることを準備したり、他にすることを考えたりする時間と捉えていた。これほどの間違いはなかった!! カンファランスは、創造を助けるきわめて大事な時間なのに!
 それは、自分が書くということもしていなかったし、書き手の目で読むということもしていなかったから。

14  自分が教えるときは、一緒にそれらのジャンルを書くようにし始めた。 ~ 「自分がしていないことを教えることはできない」と言ったのは、ライティング・ワークショップ(=作家の時間)の生みの親のドナルド・グレイヴス。
 自分が書くことで、子どもたちと同じレベルで(教え込まないといけない教師としてではなく)話せるようになった。(教科書で教えられると思うことは、大きな錯覚!)

カンファランスは、話し合いを楽しむことにつきる。一昔前まで各家の食卓で起こっていたこと。共に、笑い、泣き、論争し、心配し、喜び合い、躾をし、夢を見た!(残念ながら、このようなやり取りは失われつつある。食卓以外でやれているかな?)

   子どもたちを表面的なレベルで知っているだけではダメで、深いレベルで知らないと、教育という営みは不可能。カンファランスがそれを可能にしてくれる。(他に方法はありますか?)

○カンファランスが可能にしてくれること:
     つながりを築いてくれる
     目標を設定させてくれる
     正当性を確認する
     励ます
     教える
     評価する
(他には・・・
     共感する
     受け入れる
     tame手なずける → 星の王子さま
  これらが達成できるだけでも、大きな価値がある!! もし、これらのほとんどなしで授業が展開する場合、学びはどれだけ起こるかな?? カンファランス以外の関わり方で、これらのほとんどが押さえられている方法は?

 カンファランスは、書き手を振り返れるようにすると同時に自立した学び手にすることを助ける。

16  カンファランスは柔軟に: 決まったやり方などない!! ~ 公式、非公式、短い、長い、個人対象、グループ対象は問題でない。

○カンファランスは、質問の仕方をモデルで示し続けること。ゆくゆくは自問自答できるように!
  究極的な目的は、カンファランスも、教師も必要なくなること。生徒が自問自答して解決してしまえるようにすること。(通常の授業は、これを念頭において取り組まれているでしょうか? これを頭に入れて実践するのとしないのでは、すべてが違ってくる!)

誰が読者? 目的は何? → なぜ書いているのか?
18  教師のため、成績のため(学校ごっこ)じゃない方法を模索する。本当の理由を。
何を助けてほしい?(どうやって助けられる?) ~ 子どもたちこそが主役。彼らが変化に担い手。私たちにできることは、その過程をサポートすること。

どんなカンファランスをもちたい?
21 多様なカンファランスの種類(目的別):
              ・目標設定
              ・プロセス(題材探し/構成、下書き、修正など)
              ・ジャンル
              ・スキル(作家の技)
              ・出版
              ・ポートフォリオ

  使い勝手のある疑問形: who, what, when, where, why, how 要するに、5WH

記録の取ることの大切さ
 これによって、記憶にとどめることも、積み上げることも可能になる。ないと、どこかに消えてなくなるだけ!!

26 著者のカンファランスブックにふくまれているもの
 全体
  メンターテキストのコピー
  子どもが書いたメンターテキストのコピー
  ミニ・レッスン
  カンファランス用の質問
  月ごとのチェックリスト
 個別の生徒用のページ
  各人の目標シート
  各人のカンファランス用シート
  評価のデータ

27  パターンを記録から読み取る/引き出す
 2週間おきに見直して、パターンを読み取る → より深い分析を1か月おきに。

 その時に使う質問:
     この書き手の強みは何か?
     この書き手に欠けていることは何か?
     次すべきことは何か?
     この書き手からクラスの他の子たちが学べることは何か?

30  テストや成績よりも、カンファランスの記録の方が、子どものことを明らかにできる。

Q&A
Q・多人数のクラスで、どうやって子どもたち全員とカンファランスしたらいいのか?
A・1週間に全員と話せるのがいい。20人プラスの生徒で毎日やっていれば。
  週に2~3回で、30人前後の生徒がいるなら、2週間が限界!

34 カンファランスの結論は、書き手が私から学ぶよりも、私が書くことについて、人生について、そして書き手(=こども)についてはるかに多く学び続ける!


 以上は、書く指導だけでなく、読むことを含めて、すべての教科で応用できます。そして、しないことによって逃してしまう学びの量は甚大です。もちろん、上に書いてあることを最初からすべてする必要はありません。やれるところから(ということは、一つか二つから)確実に自分のものにしていってください。カンファランスのよさを味わえたら、後戻りはできなくなります。理由は、他の方法では34ページに書いてあることがないからです。


出典: When Writers Drive the Workshop:  Honoring Young Voices and Bold Choices,  by Brian Kissei 

なお、「まえがき」は、http://wwletter.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html


2017年5月19日金曜日

「わからない」に耐えるネガティブ・ケイパビリティ

 『理解するってどういうこと?』には、著者のエリンさんが自分の家族について書いた部分がたくさんあります。50歳前に他界した母親のこと、絶えずすばらしい対話を繰り返していた祖父たちのこと、ルネサンス人としての父や夫のこと。また、デンバーで出会った教育長や、子どもたちに働きかけ、見事に一人ひとりのよさを引き出すブルースという先生など、身近な仲間たちの姿も描かれています。各章の「よきメンター」の節には、実際に出会ったわけではないけれども、その作品を通して「理解」のありようを教えてくれたアーティストたちのことが書かれています。著者が人生で出会った人や書物とのやりとりが濃密かつわかりやすく示されているところも、この本の大きな魅力です。
 ニューヨーク・タイムスの名コラムニストであったデイヴィッド・ブルックスの『あなたの人生の科学』(夏目大訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2015年、上下2巻)もそんな本です。「認知革命」以後の脳科学の心理学の成果を踏まえながら、ハロルドとエリカという夫婦を中心に、誕生から死に至る人生におけるさまざまなシーンにおける問題が、具体的な場面をとおして分析・考察されていくのですから、思わず引き込まれてしまうのです。
 たとえば「第15章 科学と知恵」は、夫ハロルドが博物館の学芸員として勤めながら、いつしかヨーロッパの文化の歴史の解明に取り組むようになる姿が描かれるのですが、いつしか著者の筆は人間の認識と感覚の問題に及び、「謙虚さ」の考察に及びます。

人間は「わからない」ことを嫌う。それで、解釈らしきものが目の前にあるとすぐに飛びついてしまう。「わかった」ことにしたいからだ。(中略)恐怖に駆られれば、人は恐怖を早く消したいと望む。早く「わかった」状態になりたいと望むのだ。どうなった時に勝つことができ、どうなった時に負けてしまうのか、そのパターンを知りたいと望む。パターンさえわかれば恐怖から逃れられるからである。/ここで言う「謙虚な」態度とは、この「わからない」という状態に耐える態度である。賢く謙虚な人は物事を急いで理解しようとせず、自制することができる。ジョン・キーツの言う「消極的能力」を持っているのだ。消極的能力とは、不確実なものや未解決なもの、疑わしいものをそのまま受容できる能力のことである。いら立って無理に論理的、合理的な解釈を与えて終わらせようとはしない。(『あなたの人生の科学』[]99-100ページ)

 そして、「謙虚」な人がどのようにその「消極的能力(negative capability)」(「ギリシアの壺に寄せて」 (1819)の詩人ジョン・キーツがうみだした概念)を発揮するのかということについて、次のような考察が続きます。

謙虚な人は、自分がどういう誤りをしやすいかを知っていて、常に警戒を怠らない。そして、無意識の知覚にも絶えず注意を向けている。仮説を立てることはあっても、それを普遍の法則だとは考えない。新たな情報を基に絶えず仮説を更新する用意がある。いつまでも探求をやめないし、得られた情報にすぐに解釈は加えない。いったん奥にしまっておき、熟成を待つ。色々なことを同時に検討するだけでなく、一つのことを様々な角度から見る。それも、ただ見るのではなく、じっくり見る。しばらくある角度で見たら、ゆっくりと角度を変えて、またよく見るのだ。たとえ同じ人間であっても、いつも態度が同じとは限らない。だから、状況が変わった時は、すでに知っている人も知らない人と同じとみなす。行動も考え方も、生き方も笑い方もすべてが変わるという前提で見る。本人も気づかない間に、日常生活のあらゆるパターンが新しいものに変わってしまうかもしれない。そのつもりで観察する。もちろん、表面と内面の両方を見る。( 同書、101ページ)

 これが「不確実なものや未解決なもの、疑わしいものをそのまま受容できる能力」の発揮の仕方です。けっして特別なものではないのですが、「わかった」立場で物事に対するのとどこが違うのかと言えば、それは「無意識の知覚」にも絶えず注意を払っているということです。氷山の水面下の部分のように、私たちの認知活動を支えている要素に配慮するということなのです。
 『あなたの人生の科学』は、ハロルドとエリカの人生の岐路で生じる問題を、このように、科学の知見を使いながら考察していく本ですが、私たちがどのように生き、人生を終えればよいのかを考えるという目的意識に貫かれていますから、難解ではありません。心理学も哲学も脳科学も、そもそも人生の解明のために始まった学問のはずです。だからおもしろい。『理解するってどういうこと?』も、訳者たちが日本語タイトルとして選んだこのジャミカの質問が、根源的だったからこそ、読んで「わかる」ことの解明にとどまらず、人生を「わかる」ことの探究につながる本になったのだと思います。ブルックスの本からの引用を読んでいただくとわかるように、わかろうとして思い悩み、もがくことによって、その人の人生の哲学がつくり出されるのですから。

2017年5月13日土曜日

読むスタミナをつけるには? 

 
 前回のRWWW便りと関連して、今回は「読む」スタミナを培う方法を、具体的にいくつか紹介します。
 
◆『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010)の「根気よくたくさん読む」(174178ページ)というセクションでは、以下があります。

 

・それぞれの子どもが自分が集中して教室で読めた時間を記録しておき、それと同じ時間を自宅で読んでみる。

・(ここから20ページというように)読む量の目標を決めて、目標のページに付箋を貼る。

・「月曜日 家」「火曜日 学校」 等、読んだ箇所に付箋を貼る。

・読む時間を増やすためにできることをクラスで話して、その方法をリストにする。

 
◆『読書家の時間』(新評論、2014年)でも、授業中に時間を決めて、その時間、読書に夢中になることを目標にし、リーディングのフローに入れた子どもには、それはどんな感じなのかを共有してもらったり(1213ページ)、連休のあるときには「読書ジョギクング」に挑戦といった計画づくり(16ページ)の例もあります。



◆ カンファランスについての本★の中にも、「忍耐をもって、スタミナを培うというテーマ」のセクションがあるものもあり、その中に、忍耐をもって取り組み、困難を乗り越え続けた登場人物が登場する絵本を使う方法が紹介されています。


 絵本のなかで、「スタミナ」「頑張りぬく」という視点で気づいたことを、最初は先生が「考え聞かせ」で気づいたことを話します。


 子どもたちも、そのテーマで気付いたことをメモしていき、最後にそれをシェアーして、「取り組み続けるために何ができるのか」についてのリストをつくります。
 
 つまり「あきらめない、できることを考える、計画する、励まし合う、今までやっていなかった解決をトライしてみる」等々、スタミナを持って忍耐強く取り組むためのコツを、絵本の登場人物から、子どもたちにみつけてもらい、それをクラスのリストにして、励みにするのです。



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⇒ しかし、「読むスタミナ」を授業で取り上げると、例えば、以下のような問題が見えてくることも十分予想されます。

 

・ 選書の問題(読んでいる本に興味が持てない、難易度が合わない、ジャンルが合わない等)



・ 読み方の問題(一語一語で読んでいて、まとまりでよめないので内容が理解しにくい等)



・ 物理的環境(自宅で読めない、本が入手しにくい等)

 

 前回のRWWW便りでもありましたが、「問題をみつけ、その打開策を考える」必要がでてきます。


 おそらく、「読むスタミナを育てる」は、1回のミニ・レッスンで終わりにしないで、カンファランスとミニ・レッスンを組み合わせながら、複数回扱う、場合によってはミニ単元とする、というのも、効果的な選択肢のように思います。

 

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★Patrick A. Allen 著の Conferring という本の5162ジージが、忍耐をもって、スタミナを培うというテーマで書かれていて、上で紹介した例が書かれています。