2013年6月28日金曜日

ピカソは盗作画家?!

 特に有名なのは、ベラスケス作『宮廷の侍女たち』。
 ピカソは、これを題材にした作品が60点もあるそうです。
 マティスとは、互いの作品に応酬しあった仲でした。言葉ではなく、絵を使って。

 以下は、『君はピカソを知っているか』布施英利著、60~61ページの引用です。


 ピカソは、他人のふんどしで絵を描いた画家だ。他人の芸術で、自分の芸術世界を創造した男だ。しかし、他人の力を借りているから悪いということはない。そもそも、いったいどこに「自分のふんどし」で絵を描いている画家がいるのか。画家というのは、多かれ少なかれ、他人のふんどしで絵を描いている。・・・(中略)・・・芸術は、そうやって受け継がれ、進展していく。ピカソは、そういう芸術のありようを、極端な形で実践した画家だった。


 ここの「画家」は、「作家」や「読書家」にはもちろん、「科学者」「数学者」「歴史学者」「社会学者」・・・「政治家」「教師」等々すべてに当てはまるのではないでしょうか?

 「盗作」の進めです。
 「受け継いで、進展させていく」形なら。

 なお、まだ読み始めていませんが、これだけをテーマにした本があります。
 高階秀爾著の『ピカソ 剽窃の論理』です。


2013年6月21日金曜日

RWやWWについて語る人が何人いますか?


201355日の「PLC便り」のテーマは「あなたのメンターは誰ですか?」でした。

この日のPLC便りには、以下のような文がありました。

>さて、成長し続けるのに欠かせないのが、いいメンターの存在です。
 
>メンターは、単なる先輩ではなく、自分を引き上げてくれる先輩/師匠的な存在のことです。

>もう7年前になりますが、白鳥さんとジョージア州のある教育委員会(そこは、教育委員会ぐるみでPLCを推進していました)を訪ねたとき、教員同士の挨拶に「あなたには何人のメンターがいますか?」を使っていたのでビックリしました。


 「PLC便り」に書かれた上の文を読みながら、浮かんだ問いがあります。

 それは「あなたには、RWやWWについて語る人が何人いますか?」という問いです。
  
 自分の授業について、継続的にる人や場があることは、RWやWWにも、とても大きいように思います。

 まず、自分にとって、語る相手がいることで、振り返りになります。振り返ることで、さらによい方法が見えたり、反省点が見えたりします。

 また、語ることで、他の人からフィードバックやいいアイディアがもらえたりもします。

 『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ著、新評論、2010年)の73ページに、「記憶に残るような本は、ほとんどの場合、その本について誰かと対話しているものです」という文があります。

 授業もそんな気がします。特にRWやWWは、まだ日本語で読める文献も数少ないので、実践者同士が継続的に対話を通して積み重ねることが必要だと思います。

 前回のRWWW便りでも、「自分の方法が、他の多くの人のを参考にして作り上げられている証です」という文がありましたが、そんなことも思い出します。

*****

 またこのブログも、例えばコメント欄の活用など、お互いの振り返りや情報交換、そして、「自分の授業について継続的に語る人」が増えるために、なんらかの役に立てばと思います。そうするためのいいアイディアがあれば、ぜひお聞かせください。

2013年6月14日金曜日

2人のプロの創造の方法

 あなたにも、そして子どもたちにも参考にできるのではないかと思ったので、2人のプロのクリエイターの「創造の方法」を紹介します。

 最初は、『からすたろう』などの絵本で有名な八島太郎の方法です。

 絵本の「ヒント」(=題材)を得ると、八島はまず大きな封筒を壁にぶら下げ、何か関係しているような「材料」を思いつくとメモして、これに投げ込んでおきました。「発酵」させた材料を今度は「起・承・転・結」の4つの封筒に分類し、物語を確立させていきました。(出典:『特別展・八島太郎の世界』いわさきちひろ絵本美術館、8ページ)

次は、アメリカの有名な振付家のトワイラ・サープが自分の創造の方法を綴った『クリエイティブな習慣』の中で紹介してくれています。(数字は、本のページ数)
ちなみに、彼女のプロセスの中では、ベートーヴェンとジャーナリストの方法も紹介してくれています。自分の方法が、他の多くの人のを参考にして作り上げられている証です。

   
   <メルマガからの続き>


92 私にとっての箱は、記憶保管所(何でも、入れていく。ドンドン入れていく!)

95 ベートーヴェンは、常軌を逸した野性的なロマンティックなイメージにかかわらず、とてもきちんとしていた。彼は、アイディアの発展のレベルに応じて整理された一組のノートに、すべてをしまっていた。粗いアイディアのノート、そうしたアイディアを発展させるノート、完成したアイディアのためのノートを彼は持っており、アイディアの早期、中期、後期の段階が、事前にほぼわかっていたようだった。
 彼はアイディアを、まったく同じままノートに戻すことはなかった。彼はいつもそれらを前進させて、アイディアに活気を取り戻した。
96 ノートに書くこと(箱に保管すること)はあなたの創造性を制限することなく、インスピレーションを生むのだ。 →どのように? の具体例として歌手のビリー・ジョエルとのコラボレーション。

99 目標をシンプルに書き記す

102 箱がいつもそこにあって、私に冒険し、大胆になり、思い切って失敗する自由を与えてくれる。箱にとらわれずに考えられるようになるには、箱から始めなければならない。  → 歌舞伎などで、新しい動きなどをつくり出すにも、まずは型から、と同じ。

  箱は創造することの代わりにはならない。箱は作曲も、詩を書くことも、ダンスのステップをつくり出すこともない。箱はあなたの準備のありのままの指針である。それはあなたの創造性の可能性の宝庫であるが、実現した可能性ではない。

  ジャーナリストがニュースの課題をもらっても、彼はすぐに腰を下ろし、完成された記事を急いでこしらえるわけではない。①背景資料の乱読、②古い情報を精査し、③新しい情報を掘り起こし、引用するための生き生きとした発言を引き出すために人々と話をする。リサーチと取材が終わり、ノートが一杯になってやっと、彼はニュースを書くことができるのだ。

103 箱の段階から決して先に進まない人もいる。・・・彼らは箱にとらわれているということだ。

104 箱のもう一つの利点: あなたに振り返るチャンスを与えてくれる。

   箱は3つの重要なステージにおいて、有益だと思う。活動を始めるとき、途方にくれたとき、完成された後、である。


 以上、紹介したのはテーマに関係する第5章のみでしたが、他の章もオススメです。

2013年6月7日金曜日

教室の図書コーナーを外に開く


 「WWはノートが1冊あればスタートできるが、RWは教室にそれなりの本がないとスタートできない」と思う人は少なからずおられると思いますし、私もそう考えていました。

 そして、RWを始める前も、始めてからも、子どもたちがどんどん読みたくなるような本を増やすことに腐心している先生は多いと思います。子どもたちの嬉しそうな顔が見たくて、自分のお金で本を購入することも、度々あるかもしれません。

 そのうちに、教室の本が増えるだけでなくて、公立図書館の団体貸出で50冊程度を一度に借りる等、本の増やし方にもバリエーションが出てきて、子どもたちの本に関する物理的環境は、だんだん、よくなっていくように思います。

 ただ、このプロセスを「ひとりで頑張って」行う先生が多くないでしょうか?

 最近思うことは、RWをいい形で続けるためには、ある意味、「ひとりで頑張る」時期からの旅立ちの模索が必要ではないか、ということです。教室の図書コーナーについても、ある時期に、教室の中から、教室の外へ開く方法を考えるのも、その模索の一つになりそうに思います。

 実際のところ、私の知っている先生たちのなかには、充実してきた図書コーナーの本を、自分のクラスの子どもに限定せずに、廊下に置いたりして、同じ学年の子どもに解放したり、隣のクラスの先生にもRWを一緒に呼びかけたりということを、考え始めている人もいます。

 私の場合は「外に開く」場所は、今のところ校内の図書館です。昨年、図書館に思っていたよりも、かなり多くの金額のリクエストが出せることが分かり、リクエストを出し始めています。そのおかげで、(私が勝手に思っているだけですが、少なくとも私には)図書館が教室の図書コーナーの一部のように思えます。(図書館内の本の配置までは口を出せないので、図書館にある本の、短いコメント入りのリストや表を作成して配布するなどの工夫をしています)。

 リクエストを出してすでに入れてもらった本は、まだ100冊強ですが、それだけでも、RWの運営がしやすくなるのを感じます。第一に、私の管理しなければいけない本の数が減ります。また教室の本がすでに借り出されていても、図書館にあるのがわかっているので、「あとで行って借りてきてね」と言うこともできます。また教室にスペースがない場合は、シリーズもののうち1,2冊を教室に置いて紹介するということも可能です。今後、もし、他のクラスでRWに興味をもってくださる人がいれば、その人にとっても取り組みやすくなります。これからも沢山リクエストを出そうと思います。

 『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ著、新評論、2010年)で紹介されている教室の多くは、「読み書きを学校の中心に位置づける」(28~32ページ)というセクションに書かれているように、校長先生もリーダーシップをとりつつ、学校全体でRWに取り組んでいる印象があります。

 これは、「RWをひとりでスタートしなければいけない」ことが多い日本の学校とは、かなり違う気がします。「ひとりでスタートしなければいけない」からこそ、ある時期に「教室の図書コーナー」を外に開く方法の模索を始めることにも、価値がありそうに思います。