2013年7月26日金曜日

教師の振り返りの項目(その1)~「答えが一つ」と「答えは無限大」~

  RWWWを行っている先生が自分の授業を振り返るとき、振り返りのためにどんな項目があればいいのだろうか?と、最近、時々考えます。

 子どもたちのためには、子どもたちの自己評価シートなどが、RWWW関係の英語の文献では巻末資料に載っていることもありますが、「教師が自分を振り返るための項目は?」と言われると、少し考えてしまいます。

 もちろん子どもたちの自己評価の結果や、子どもたちの達成度が分かれば、それで十分なのかもしれませんが、あえて「教師が自分に尋ねる項目」を少し考えてみたいです。

 最初に浮かんだのが、「答えが一つ」と「答えは無限大」のバランスを取って、両方とも、教えていましたか?という質問項目でした。

 WWにおいても、RWにおいても、「答えが一つ」と「答えは無限大」の両方があります。

 具体的には「答えが一つ」としては、WWでは校正に関わる部分があると思います。

 RWで「答えが一つ」は、「解読や新しい単語や表現の意味」等に関わる部分です。「優れた読書家があるページを読んだときに共通して見つけられるような意味も存在している」と『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ著、新評論、2010年)185ページに書かれている通り、読み取らなければいけない共通した意味を読み取ることも、ここには含まれると思います。

 私は英語を教えているからかもしれませんが、例えば自分の見たことのある単語が自分の知らない意味で使われていたり、熟語の意味だったり等、この「答えが一つ」の部分の大切さを実感しています。しかし、同時に、この部分が時には大きくなりすぎで、「読むこと」を助ける代わりに、障害になっていると感じることもあります。

 「答えは無限大」の部分は、WWでは「修正」の部分があります。

 RWでは「反応する、反応して意味を作り出す」部分です。

 「答えは無限大」の部分は、おそらく一人ひとりの学習者がそれぞれにお互いの学びに貢献できる余地の大きい部分でもあるように思います。

 WWにおいても、RWにおいても、この両者をどのように教えたのか、両者のバランスや教え方はどうだったのか? 自分としては「答えが一つ」と「答えが無限大」のどちらのほうが教えるのが上手く行ったのか? 改善点は? 等々、これは教師の振り返りのための一項目のように思いますが、いかがでしょうか。引き続き、他の項目も考えたいと思います。

2013年7月19日金曜日

修正 その2


 修正に困っている3~5人ぐらいの子たちを集めて、以下のような質問を順番に投げかけていくだけです。

     下書きの中で、一番訴えたい内容が書かれている文章に下線を引いてみて?
     それについて具体的に書いている部分や例を挙げている部分をカッコでくくってみて?
     今度は、下線の文章とはまったく関係のない部分に、波線を引いてみて?
     一番気に入っている文章はどれ? 矢印で示して。
     下書きの中で、インパクトがあると思っている言葉を3つ選んで丸で囲んで。

 これら印をつけたところのいずれかに焦点を絞って発展させたり、さらに強調させたり、膨らませたり、あるいは逆に削ったり、消したりしていけばいいわけです。

 前回の繰り返しになりますが、修正は主題と文の構造の転換」と捉えています。

 自分の下書きについてするのではなく、集まった子たちの中で、あえて自分のとは違うのに印をつけてみてもおもしろいかもしれません。他人の目は、自分とは違うものを見てくれますから。

 修正を教えるのに困っている方、ぜひ試してみてください。


★ 近々、出版予定の『リーディング・ワークショップ』の日本での実践版の中でも、2人の実践を紹介しています。

2013年7月12日金曜日

下書き → 修正

 なかなか、このステップが日本の作文には理解されません。
 最初の段階で、下書きの一歩手前ぐらいのレベルを要求しているのが、その理由かもしれません。
 従って、なかなか最初の段階での「実験」というか「遊び」というか「自由に書くこと」ができません/許されません。

 私もそうでした。
 28歳ぐらいになって、ワープロを購入してキーボードを打って「書く」までは、それこそ書けない人生が続いていました。(私の人生の半分近くですから、もったいなかったです!)「消す」(直す)のが大変だったからです。ワープロ(いまは、パソコン)なら、削除やコピペ(コピー&ペースト)が簡単なので、いい意味で「いい加減」にいくらでも書いて、修正することができます。

 従って、「修正」とはなんぞやを説明するのも、これまでやられてこなかっただけに容易ではないのですが、いい事例を見つけました。


 あの有名な芭蕉の俳句、「しづかさや 岩にしみ入るせみの声」です。

 あれは、もともとは「さびしさや 岩にしみ込むせみの声」だったそうです。


 主題と文の構造の転換が行われ、似て非なる作品ができあがりました。
 (この間にも、試行錯誤が何回かあったのかもしれません!)


 これが、修正のわかりやすい例だと思いました。

 これは、短い俳句の例ですが、作文の場合も同じです。修正は、「主題と文の構造の転換」と理解してください。小手先レベルでの直しではありません。
 なお、俳句の場合は分量は変わりませんが、文章の場合は分量が大幅に増減します。

                 (出典: 『読むこと』安良岡康作、29ページ)

2013年7月5日金曜日

RWやWWに取り組んでから変わったこと・戻りそうになること

   WWに取り組んでおられる先生が、WWをしていると、子どもにかける言葉の性質が変わる、というようなことをおっしゃっていました。

 「たしかに」と思います。

 RWWWに取り組んでから、変わったことは? と考えると、「声かけ」の言葉以外にもいろいろあるように思います。

 「読むことを教えること」で、私にとって変わったことの一つは「授業の準備」です。

 「もっといい詩がないだろうか」、「この作家はどうだろうか」、「インターネットで使えるものは?」等々、教材さがしの時間が随分増えました。

 そして、隙間時間に教材さがしを兼ねての本等を読むことも定着し、それはほとんど楽しみの域に入っています。自分の読書ノートを見ても、RWに取り組まなければ絶対に読まなかったであろう本が並んでいますので、これは、私には「変化の定着」が見られる点ですし、嬉しい楽しい変化でもあります。

 暗記を強いる時間や暗記したことの採点に割く時間もなくなりました。

 しかし、WWで作文を読んでいると、(私の場合は英語を教えているので)ついつい英語の間違いを指摘してあげないといけない、と思ってしまうこともありますし、読むことに停滞している学習者を見ると、問題点を把握して解決や読み方を教えるよりさきに、正解を説明したくなることもあります。

 つまり、「あまり変わっていないなあ」、「これって以前の悪いパターンに戻っている」と思う点も、けっこうあるということです。それは、私の場合は「教師がどこまで、何を教えるのか」という葛藤?に関わっていることが多いです。

 RWWWで変わったこと(嬉しいこと、嬉しくないこと?ももしあれば)、変わっていないこと、戻ってしまうこと(葛藤)なども、一度、書き出してみると、今学期のいい振り返りになりそうな気がします。