2013年12月27日金曜日

他の人からのお薦めを読もう(その1)

 年末(12月27日)と年始(1月3日)のRWWW便りは、「他の人からのお薦めを読もう特集」です。

 まず今回は「年末と年始、束の間の時間をつくって、本との楽しいひとときを過ごすための、お薦めを教えてください」です。

 もし、数名の方が、1〜2日のうちに、このブログのコメント欄に、数冊を紹介していただけると、20~30冊のお薦め本が並ぶことになります。

 20~30冊あると、そこから年末年始に読んでみたい本が見つかるかもしれません。ぜひ、読書ノートを振り返ったり、記憶を辿ったりして、情報提供をお願いします!

 この年末年始のRWWW便りを「他の人からのお薦めを読もう特集」にしようと思ったのは、2週間前のRWWW便り『十代に何を読んだか』のコメント欄に、『カラフル』という本が紹介されていたので、図書館から借りて読んだことがきっかけです。

 この本は、紹介されなければ、私は、おそらく作家の名前すら知らないままだったかもしれません。

 コメント欄のおかげでこの本が読めて、そして、読んでよかったです。

 軽妙なタッチなのでどんどん読めるものの、題名どおり(?)、色彩に富んでいて、々な深さや角度で読めるので、読み終わったあとにまだ消化しきれていないものも残っていて、不思議な読後感です。

 私の中学時代には、なかったタイプの本だろうと思いました。

 ということで、まずは今年読んだ中から、児童文学でお気に入りのものを以下に書きます。

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 児童文学では、アヴィ(Avi)とシャロン・クリーチ(Sharon Creech) をけっこう読みました。そこからのお気に入りは以下です。

★ アヴィ(Avi)

The Barn 『父さんの納屋』 

Blue Heron (邦訳はないようです)

* アヴィ(Avi)については、2012年8月10日のRWWW便り「一人で読んでいない」で少し紹介しています。


★ シャロン・クリーチ(Sharon Creech) 

Granny Torrelli Makes Soup 『トレッリおばあちゃんのスペシャル・メニュー』
 
Roby Holler 『ルビーの谷』

Chasing Redbird『赤い鳥を追って』

★ そういえば、今年の初め頃は、ジーン・クレイグヘッド・ジョージ(Jean Craighead George)のジュリー三部作にも、はまりました。3部作の1作目が、昨年の12月12日のRWWW便りで紹介されたおかげでした。

 1作目は『狼とくらした少女ジュリー』(Julie of the Wolves)です。2作目、3作目は、それぞれ Julie, Julie's Wolf Pack です。
 
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 また、私も後でコメント欄に、もう少し追加を書ければと思います。皆様も(今年の)お薦めを教えてください。よろしくお願いします。




2013年12月20日金曜日

出版前に「編集者」になる体験を



『作家の時間』の「読み」版である『読書家の時間』を最終原稿にする過程で痛感したことを一つ紹介します。

①それぞれがベストの原稿を書いた上で、6人のメンバーが相互に「大切な友だち」の要領でピア・カンファランス的なことをしてよりよい原稿にしていた時(その時は原稿の分量を度外しして、とにかくベストの原稿にすることを最優先にしていました)と、②全部の原稿が出揃って、上限として許されるページ数から逆算してかなりの程度各原稿を削らないといけない作業として「編集者」としての役割を担う時の大きな違いについてです。

前者は、書き手に寄り添うことが中心です。
それに対して、後者は編集者ないし読み手の立場に立つことが中心です。何は残して、何は削っても差し支えないかの判断も伴います。

立場が違うので、見えるものがかなり違いますから、指摘できるものが違います。
とうぜん、両方大切です。

教師の添削は、どちらかといえば、後者の気がします。でも、それをやってしまう前に、前者の寄り添う部分がないと、子どもたちはせっかくの教師の添削も受け入れづらいだろうな~と、今回の作業を通じてつくづく感じました。

しかし、出版前の「校正」段階では、この「編集」というプロセスもたまには体験することも大切だとも。
というのも、「大切な友だち」で「修正」している段階では、どちらかというとわかりやすくするために、補足するウェートが多くなり、必然的に分量は多くなる傾向があります。カットするという投げかけは、たとえできたとしても、補足するのと比較したら、1対3から1対5ぐらいの割合かと思います。
しかし、それなりにベストの原稿に仕上げた上で、分量制限を提示して、縮める作業は題材選び→下書き→修正に一番コミットしてきた書き手にはできません。「編集者」である第三者にしか。
その体験は、自分の原稿を縮める際に、徐々に役立つ気がします。
縮めるときにだけでなく、作家のサイクル全体に影響を及ぼす気さえします。
ぜひ「編集者」の体験をさせてあげてください。


★ 本物の編集者の視点からすると、メンバーが相互に直し合ったり、削りあったぐらいでは、まだまだ不十分であったことを、いま突きつけられてもいます!!

2013年12月13日金曜日

『十代に何を読んだか』



これは、本のタイトルです。
タイトルにひかれて、図書館から借りてきました。
未来社から1985年に出た本です。
あまり売れなさそうな感じがしましたが、借りてきた本は第3刷ですから、悪くはなかったのかもしれません。でも、いま同じタイトルで出たら、どうでしょうか?

本のタイトルを(1)とすると、
関連して思いついた質問は、
(2)   十代に何を読まされたか?
(3)   十代に何を自分から進んで読んだか?
(4)   十代に自分から進んで読めるようにするには、どうしたらいいのか?
他にも質問が思いついた方は、ぜひ教えてください。
とても大切な気がするので。

私の回答は、以下のとおりです。
(1)(とても、悲しいことですが)タイトルが一つもあげられません!!
(2)たまたま高校時代をオーストラリアで過ごしたのですが、読まされた本は、『マクベス』と『セールスマンの死』と『蝿の王』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』でした。時間をかけて授業でやった割には、ほとんど覚えていません。日本の小、中時代のは、一切覚えていません。(単に、記憶力が悪いだけ?)
(3)これも(1)と同じで、一冊もあげられません。
(4)私のような者にこそ(結構、多くいると思うのですが!)、この質問は大切なんじゃないかと思います。というか、私のような者の周りにいる先生や大人にとって。読書感想文的なものは、まったくダメでしたし、国語の授業も何の助けにもなりませんでした。

そういう極めて悲惨な十代を過ごしたのが、五十代になってリーディング・ワークショップを普及し始めようと思った大きな理由の一つです。従来の図書(読書)教育や国語教育では、すでに読める人は読む、読まない人は読まないままが続くだけだと思うので。でも、リーディング・ワークショップなら、驚異的に読む人は増えますし、読み方も驚くほど変わります。(そうした子どもたちの変化や、それを可能にする教師の変化について詳しくは、いま校正段階に入り来春には出版予定の『作家の時間』の読み版の『読書家の時間』新評論をご覧ください。)

以上は、本を開かずに、タイトルからのみ考えたことですが、以下のようなことをこの本の中で書いている人たちがいました。(ちなみに、この本は、タイトルになっている質問を22人の人にして、答えてもらったものを出版社が編集したものです。)


       <メルマガからの続き>


「『十代に何を読んだか』という設問は、的はずれのものではないだろうか。ことにわたくしのような、旧制高校出身の世代の者は誰でも、この質問には答えに窮するだろう。
 旧制高校は、十代の末頃が卒業の時期であったが、教養主義に浸されたこの過去の教育体制のもとでは、こんにちとはまるでちがって、高校生たちは古今東西の典籍を ~ むろん多くは翻訳によってだが ~ 読むことに熱中するのがふつうだったから、大げさにいえば、『十代に何を読まなかったか』と質問される方が適切なのである。(98ページ)」

私の頃(40~50年前)や、今とはまったく違う時代があったのです!! このあと、読んだ本の一部を書き出してくれているのですが、今では大学生ですら読まないだろうな~と思われるような本がずらって並んでいました。
しかし、この「十代に何を読まなかったか」という質問は、まったく思いつきませんでした。
ということは、読書に関して私たちは退歩していることが確実のようです。要するには、教養や知識がみごとなぐらいに低下しているわけです。これは、大きな問題?? それとも、気にする必要のないこと?

でも、一方で、以下のように書いてくれている人もいますから、救いではあります。

「どうやら私は、たいへん『おくて』の人間の様です。他の人が、十代で読む『青春の文学』に、中年になってから、感動しているのですから。けれども、それはそれで良いのだという気がします。
 本は、若いうちにたくさん読んでおきなさい、そうしないと、あとはもう読めないという人がありますが、私は必ずしも、その意見に賛成しません。もちろん、若い時の読書は大切ですが、本との出会いは、人それぞれという気がします。つまり、ある本に感動する年齢というのは、その人の性格や、人生体験に応じて、みんなちがっているのではないでしょうか。たとえば、老年になってから、『青春の文学』に出会い、心ゆさぶられるのも、すてきな事ではないかと思います。(18~19ページ)」

青春の文学とは言えないと思いますが、たとえば、私の『ギヴァー』との出会いのように? なんと、50歳を過ぎてからの出会いでしたから。

でも、それは、十代に読まなくてもいいということにはならないとも思います。

いったい、十代に何を、そしてどう読むのがいいのでしょうか?
      

2013年12月7日土曜日

自分の読書ノートを振り返る


 今年も12月です。

 この1年間の自分の読書ノートをさっと見ることで、以下に記すように、一石五鳥ぐらいの値打ちがあるように思います。

 おそらく題名などを見るだけであれば、5分もあれば十分です。

 その5分で、今後、育てて行きたい「種」や「芽」も見つかると思います。

1) 読書ノートで健康診断

 1年を通して、もし不健康な時期があれば、それがいつだったのかが、読書ノートからよく分かります。

 私にとっては、本が読めていない時期、図書館に行けていない時期、月に2,000円と決めている絵本購入ができていない時期等です。

 健康維持のためにも、本と過ごす最低限の時間を確保しよう、そして、具体的にできることは?と考え始めます。

2) 読書ノートから年間計画へ

 読んだ本の題名を見ていると、注文しようと思ってそのままになっていた本を思い出すこともあります。来年のミニ・レッスンにいいので使おうと思いつつも、メモすることすら忘れていた本もあります。そんなことをちょこっとメモしておくと、来年の授業もパ 
ワーアップです。次年度の年間計画や、現在の年間計画の修正に役立つかもしれません。

3) 読書ノートでコミュニケーションのスタート

 自分の今年のベスト3などを考えることもできます。人にお薦めしたかったのにその機会を逸した本、子どもに大人気だった本等々、発信できる情報が埋もれていると思います。それをメモしておきます。

 そして時間のあるときに、そのような情報を同僚や保護者に伝えることで、新たなコミュニケーションが始まる可能性も。

4) 読書ノートで、他の人からの情報を得る

 読書ノートで気付いた 3)のようなことを発信してみることで、他の人から得られることがあるかもしれません。

 自分のベスト3を伝えることで、他の人も自分のベスト3を教えてくれるかもしれません。これは、自分の読むジャンルを広げてくれるかもしれません。 

 もし、同じ本を読んでいれば、新たな解釈を得られるかも? それで盛り上がるかも? 大人のブッククラブが始まるかも??

 他の人から情報を得ることで、自分の読み手としての成長、新たな人間関係につながる可能性もありそうです。   

5) 読書ノートで思い出?に浸る

 読書ノートで、読んだ本の題名を見ると、「読んでよかった」本から得た思いがよ 
みがえります。ちょうど楽しかった時間の写真を貼ったアルバムを見ているのと同じ 
で、ちょっと嬉しくなったりもします。

 → ここで思い出に浸りすぎると5分で終了できませんが、いずれにせよ、読書ノートをさっと見直すことで得られることは、多そうです。