2014年12月26日金曜日

子どもたちの読むことへの情熱に火をつける



12 読むことが好き、読むことを楽しんでいるか、どれだけ自立して読めているか、は評価されない。評価は読解に限定されている。それでいいのか?

好きで楽しんで読んでいれば、読むスキルもドンドン伸びるが、好きでも楽しんでもいなければ(=お付き合いで読んでいては)、スキルが伸びることはほとんど期待できない。

何を評価するかは、とても重要!! ~ 日本の正解アプローチは、何のため?

13 多くの子どもたちは、読むこと、特に文学を読むことのいい体験を学校での授業でもっていないので、卒業した時が本を手に取るのが最後になる。在校時も、決して進んで手に取っていたわけではない。

 生涯読み続けるぐらいに好きになるようにしたい、という姿勢で、教師が臨むか、臨まないかは大きな違いを生み出す。単に教科書をカバーするだけ、本を紹介するだけでは、ダメ。

 以上は、Igniting a Passion for Reading ~ Successful Strategies for Building Lifetime Readers, by Steven L. Layneに書いてあったことです。(数字は、ページ数) これは、司書はもちろんのこと、多くの教師や保護者も望んでいることではないでしょうか。それとも、国語のテストでいい点数をとることでしょうか?

 それを実現するために、具体的にやれることとして、この本では

・まずは子どもたちを知ることから ~アンケート等で(第2章)
・ブックトーク (第3章)
・読み聞かせ (第4章)
・一緒に読むこと (第5章)
・本についての話し合い (第6章)
・読みやすい場所を提供する ~ ハードは大切 (第7章)
・作家に訪問してもらう (第9章)

 などが紹介されています。

 あなたが、子どもたちの読むこと(あるいは、書くこと)への情熱に火をつけた事例を、年末・年始の期間に時間を見つけて書き出していただき、ぜひ(pro.workshop@gmail.comに)お寄せください。

 今年最後のRW&WW便りでした。
 よいお年をお迎えください。

2014年12月21日日曜日

『新訳 被抑圧者の教育学』と『理解するってどういうこと?』


パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』という本をご存知でしょうか? 私は大学院生の頃に購入して読んではいたのですが、訳文がなかなか呑み込めずに、何度も何度も読み直したのを覚えています。わかったつもり、でいました。
 ところが、三砂ちづるさんの『新訳 被抑圧者の教育学』(亜紀書房、2011年)を読んだところ、びっくり。同じ出版社から出された以前の訳が1979年5月初版ですから(私が大学に入学した年です!)、30年ぶりの新訳です。たとえば、

(旧訳)実践とならない言葉は、真の言葉とはいえない。したがって真の言葉を話すということは、世界を変革することである。(95ページ)

(新訳)本当の言葉のないところに実践はない。だからこそ本当の言葉は世界を変えることもできる。(118ページ)

 旧訳も、重みがあるのです。それは疑いようがない。でも、すんなりと私の頭のなかに入ってくるのは新訳のほう。「本当の言葉のないところに実践はない」と言われたほうが「実践とならない言葉」と言われるよりもしっくりときます。「真の言葉を話す」ことがそのまま「世界を変革する」と言われても、その実現には大変な困難が予想されるように思われます。でも、これを、「だからこそ本当の言葉は世界を変えることもできる」と言われると、「本当の言葉」を求めたくなる、やってみようかなと思えてくるのです。三砂訳の巧みなのは、今の部分で「も」を使って、読者に選択肢を与えていることではないかと思います。
 そして次のような一節にも魅力を覚えます。
 

「銀行型」教育ではなく、問題解決型教育のビジョンをもつような手段として、雑誌や新聞の記事や本の一節を読んで議論したりすることもあるだろう。前にあげた専門家のインタビュー録音のときと同様に、記事や本の一節を紹介する前に、著者はどういう人なのか、一言加えることは必要なことである。その後で読んだものの内容について議論を進めるのがよいだろう。

 読み物を使った同じ方向の作業として、同じ事件を取り扱ったいくつかの新聞記事の内容を分析してみることも欠かすことのできない重要な作業だと思う。同じ事実がなぜ新聞によってこんなに違ったふうに書かれるのか? そのようにすることで人々は批判精神を身につけ、新聞を読んだり、ラジオを聴いたりするにあたり、ただそこで流されている情報を受け取るだけの受動的な姿勢から、自由を求める意識的な主体となっていくのである。192ページ~193ページ

 ここで知識を詰め込む「「銀行型」教育」と対照的に示されている「問題解決型教育」とは、リーディング・ワークショップそのものではないでしょうか。
  『理解するってどういうこと?』の参考文献に『被抑圧者の教育学』は上げられていないのですが、三砂さんの訳だと、フレイレがキーンさんと重なって見えてきて、奥行きがさらに広がります。三砂訳でフレイレを改めて読んで、そういうことに遅ればせながら気がつきました。30年前の私が、そのことに気づくのは無理でしょうが、それなら、私はいったいこの本の何を理解していたことになるのでしょうか? 『理解するってどういうこと?』の第7章「変わり続けること以上に確実なことはない」で、ネルーダが「よきメンター」に選ばれている理由や、第8章「すばらしい対話」の「よきメンター」にピカソとマチスのライバル関係がどうして選ばれているのか、よくわかるのです。そして読んで理解するということは、「流されている情報を受け取るだけ」のことではなくて、つねに本や情報を読み解かれるべきものとして捉えて、「自由を求める意識的な主体」となることなのだという思いを強くします。この二冊を重ねて読むと。

2014年12月12日金曜日

クリスマスに本リストはいかが? ~2014年のお薦め本を教えてください~

「他の人のお薦めを読もう」というテーマで、2013年年末のRWWW便りを書きました。 http://wwletter.blogspot.jp/2013/12/blog-post_27.html#comment-form

 今年も、はや12月となり、自分の読書ノートも見ながら2014年の読書生活を振り返っています。

 もし、よろしければコメント欄などで、2014年のお薦め本や、この1年の自分の読書生活のハイライトを教えていただけると嬉しいです。人のお薦め本は、私にとって、自分の読まないジャンルや知らなかった本を読むきっかけになるかことが多いからです。

 そういえば、以前、「バレンタインを、チョコレートでなくて本を贈る日にすれば?」とおっしゃった人がいましたが、1年に1度くらい、本を贈るのもいいですよね。あるいは、(可能であれば贈る人様にカスタマイズした)お薦め理由つきの本リストを贈るとか???親しい人であれば、たまにはそんなクリスマス・プレゼントも悪くないかも???

 さて、自分の読書ノートから、2014年に読んだ気になる絵本作家を選ぶとすると、ジャネル・キャノン(Janell Cannon)かなと思います。

 Stelalluna (邦訳は『ともだち、なんだもん!~コウモリのステラルーナの話』今江祥智訳、ブックローン出版)はメッセージがはっきりしすぎている面もありますが、よく考えられた絵本だと思いますし、読み返すと新たに気付く点もあり、「何度もおいしい本」とも言えます。

 (私は英語を教えていますが、ストーリーが分かったあとに、今度は書き手の目から書き手の工夫を学ぶために読むこともできます。たとえば台詞の前後で、 said の代わりに使われている単語を拾うだけでも、cried, hissed, warned, sighed, stuttered 等々、多様な動詞が使われていることが分かり、英語を書くという点からも、学べるポイントがけっこうあります。)

 その後、同じ著者のTrupp (これは邦訳がでていないようです)も購入。こちらもよかったので、この作家の残りの本も図書館にリクエストを出そうと思っています。

*****

 私は2014年の読書生活の特徴は、オンラインで読めるものをたくさん読んだことです。上の本も、ハリウッドスターなどが絵本を読み聞かせてくれているサイトで出合いました。http://www.storylineonline.net/

 もうひとつ、オンライン系ではTEDのサイトでプレゼンをたくさんみました。このサイトは日本語の字幕が出せるものも多数あります。
http://www.ted.com/

 英語教育では、TEDを使う人が、最近、増えてきているように思います。

 まずは、この夏にとりあえずTEDで100のプレゼンを見ようと決めました。多様なプレゼンがあり、単純に大笑いできるもの、感動的なもの等、いろいろですし、世界には多様な人がいるのを改めて感じます。現在では、見た数は200を超しました。(このサイトは、私のここ数か月のリーディング・プロジェクトだったようにも思います。)

 学習者からも、TEDの面白いサイトを教えてもらうことも多かったですが、その中の一つを紹介します。日本語の字幕も出ます。

How movies teach manhood
http://www.ted.com/talks/colin_stokes_how_movies_teach_manhood
(邦題「映画が男の子に教えること」)

これは、メディアリテラシーとも関わると思います。自分の読んでいる本についても、主人公の問題解決方法は力や暴力なのか? 主人公の性別は? 等々にも目がいくようになりました。

******

 お薦め本やお薦めプレゼンなどは、またいつか続きを書ければ、と思っています。

2014年12月5日金曜日

目的と評価の関係


「教えるという行為は、どういうことなのか」彼これ30年ぐらい考え(もがき)続けています。

・子どもたちが知らないことを、わかるようにすることなのか?
・これまでできなかったことを、できるようにすることなのか?
・知識や技能はもちろんのこと、それと同じ(か、それ以上)に大切な態度や姿勢 ~ 具体的には、EQとライフスキル社会人基礎力など ~ も身につけられるようにすることなのか?

・子どもたちが自立的かつ主体的に学べるように、子どもたちと一緒に授業をつくり出していくことなのか?
教師や教科書の知識や価値観を越えて、教師が予想もしなかったような発見・気づき・学びを子どもたちが実現することなのか?
などです。★

そして、
それらを実現するための効果的な方法には、どのようなものがあるのか?★★

上記のことはすべて、それがどう達成されているのかという評価と密接に関係します。
(ここでいう「評価」は教え終わった後にするテストやつける通知表とはまったく別物です。)

それは、
1)何はすでにできていて/知っていて(強み)、さらに伸ばせるのか
2)何はまだ十分ではなく(弱み)、伸ばす(補強する)必要があるのか★★★
を把握し続け、その判断に応じて適切に指導/サポートすること(まだ扱っていない前回の4番目の項目)です。

子どもたちの状況は一人ひとりかなり違いますから、必然的に、個別的なアプローチ(指導/サポート)にならざるを得ないことを意味します。

なお、評価(状況把握)をするときに、前回提示した
 ・今日読む目的は何か? → この本をなぜ読んでいるのか?
 ・何を明らかにしたくて読んでいるのか?
 ・自分が理解したこと/知ったことをどう示せるのか?
 ・読み手としての自分について今日何を学べるのか? 自分はどう賢くなるのか?
を、読み手(そして教師も)がどれだけ意識しているかは決定的に重要な気がするのです。(書く場合は、書き手と教師が)

何といっても、何よりも大切なのは、他者による評価ではなく、自己評価ですから。教師も含めた他者による評価は、あくまでそれを補うものでしかありません。

もし、読み手も、教師もこれらを意識していない場合は、どういうことが起こるのでしょうか?

現状の「朝の読書の時間」や「図書の時間」や「国語の読解の授業」が続くだけのような気がします。それで果たしていいのでしょうか? それで読む力はついていくのでしょうか? 「自立した読み手(あるいは、書き手)」になっていけるのでしょうか? 教師は、よりよい授業ができるようになるのでしょうか?

目的・目標と評価は、コインの裏表の関係にあります。★★★★
特に、評価と指導と一体化を考えた場合は。

最初に戻りますが、教えるとはどういうことかを考える時に、日本の教育(というか、日々の授業)を見て弱い状態であり続けているのが、これら目的(目標)、評価、そして指導の3者の関係のような気がします。子どもたちが参加する目標設定や評価や指導(教え合い)にしていくためにも、前回の1)目的 と2)本物 を意識することはとても大切だと思うのです。



★ 他にも、いい説明の仕方があったら、ぜひ教えてください。

★★ いろいろある中で、もっとも効果的な方法の一つは確実にライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップおよびそれらの他教科への応用だと思います。少なくとも、上の5つの問いは満たす教え方だと思います。

★★★ この2つの項目以外に思いつく方がいたら、ぜひ教えてください。

★★★★ ちなみに、日本で現在行われている指導目標の明確化とそれに準拠した評価(=評価規準)は、あくまでも教師側の建前(指導案レベルの「作文」?)であって、教えられる側の生徒たちにとってはまったくと言っていいほど意味のないものです。子どもたちが目標設定に関わっているわけでも、評価によって学びが促進する形で行われているわけでもありませんから。(正直、私は無駄なことに時間をかけているな~としか思えません。「無駄」を通り越して「弊害」と言った方がいいかもしれません!)従って、今のままでは「指導と評価の一体化」は、「絵に描いた餅」状態が続くことを意味します。

2014年11月28日金曜日

朝読(や読解の授業)で読む力をつけるには?



No More Independent Reading Without Support, by Debbie Miller & Barbara Mossという本を読みました。これを日本の状況に当てはめると、表題のようなタイトルになるかと思います。直訳的にすれば、「教師の指導やサポートなしに、朝読(あるいは、図書の時間)は行わない」になりますが。

その本の47~53ページに、読む力をつけるための4つの要素について整理されていたので、紹介します。

   1)目的
   2)本物
   3)選択
   4)しっかり教える


1)目的 ~ 何を、どう、なぜ読むのかが明確

 ・今日読む目的は何か? → この本をなぜ読んでいるのか?
 ・何を明らかにしたくて読んでいるのか?
 ・自分が理解したこと/知ったことをどう示せるのか? → 紹介/評価
 ・読み手としての自分について今日何を学べるのか? 自分はどう賢くなるのか?

 目的が明確だと、主体的な学び/読みになる。モチベーションが上がり、主体的に取り組める。本当の読み手がしていることを体験してほしい。
 目的が明確だと、「振り返り・共有」の時間もより効果的になる。(上の問いの3番目や4番目を振り返れる/共有できる。)

とあり、ウ~ンと唸ってしまいました。朝読にしても、図書の時間にしても、読解の授業にしても、目的意識というのは極めて希薄だからです。目的のないところで、何か生まれるか? 問いの3番目や4番目は生まれませんね。


2)本物 ~ 本物の読み手がしていることか?

 子どもたちにさせることは、教室以外でやられているか/大人たちが本当にしていることか、が判断基準。していないことは、使われることがないので(=偽物)、やらないようにする。

49 以下の質問にどう答えますか?     (斜体は、吉田が加えた項目)
     読んだ後にワークシートを埋める?
     読む本は自分で決める?
     自分が読む本や読みたい本はリストアップしておく? もししていないなら、している人を知っている?
     読んだ後に、誰かの質問に答える?
     読んだ後に、本を紹介するポスターやチラシをつくる?
     友だちに本を紹介することがある?
     読んだ本について誰かと語り合う?
     自分にあったレベルの本を読んでいる? 簡単な本や難しい本も読む?
     ブッククラブのメンバーになっている? もしなっていないなら、誰かブッククラブをしている人を知っている?
     本を読み終わるたびに、要約や感想文を書いている?
     下線、質問、反応などを書き込みながら読んだことがある?
     段落毎に、自分が選んだ題材でないものを克明に読解するようなことはする?
     読むときには、音読する?
     読むときには、段落を区切って/順番に声を出して読む?

以上の質問に答えることで、何を発見しましたか? 何は今のままやり続け、何はやめた方がいいと判断しましたか?

3)と4)については、また別の機会に。

2014年11月22日土曜日

自立心と協調性との緊張関係


 『理解するってどういうこと?』を刊行していただいた新曜社から『ロボットの悲しみ』という本が出ています。この本では、岡田美智男氏をはじめとした執筆者たちが、「自立する」ということがむしろ「依存先を増やす」ことだという考え方★を一つのキーコンセプト(鍵となる概念)として、ロボットと人間との新たな関係を探っていくのです。環境心理学やコミュニケーション、発達心理学、ロボット研究の専門家たちの議論がとても面白くて、一気に読み終えました。

 え? ロボットの本が「理解する」こととどう関係するかって? それが大いに関係あるようなのです。

 一例を挙げましょう。『理解するってどういうこと?』の第4章に、チャールズ・レイク小学校のキャスィとジョディの教室での、リタという女の子のエピソードが出てきます。

 リタはメキシコからオハイオ州クリーブランドにやってきた子で、スペイン語を母語としていて、まだ英語をうまく使えないので、文字なし絵本を抱えていました。そのクラスの教師の一人キャスィは、リタとカンファランスをしていて、部屋の本の山のなかから言葉のある本を選んでくるように言います。リタが選んだのはアレン・セイの『おじいさんの旅』。若い頃日本からカリフォルニアに渡った、セイのおじいさんの生涯を題材にしたものです。作者自身のこれまでと、その、おじいさんの生涯とを重ねて描いています。私も読んだことがありますが、半世紀近くのことが20ページほどの絵本に収められているので、結構込み入った筋立ての巧みな絵本だという印象があります。

 キャスィはそのカンファランスで、少し前にこの本を読み聞かせながら実施した「大切なことを見極める」のミニ・レッスンのことを思い出して、リタ自身が大切に思ったことを考えさせました。リタはどんどん自分が大切に思ったことを言っていきます(128ページから129ページ)。結構込み入った絵本なのに、リタはミニ・レッスンの時のことを思い出して、この本の大切なテーマにかかわる発言を連発し、ついに自分で『おじいさんの旅』を読もうとするのです。

 でも、英語がまだうまく使えないリタですから本のなかにとてもたくさんの知らない言葉があることに気づきます。キャスィはそれらの言葉の意味を直接教えるのではなくて、自分の知らない単語に出会ったときに「あなたにできるのはどんなこと?」と質問しました。リタは「声に出すの」と言いましたが、さらに「他にできることは?」と問いかけます。リタの次の行動は、壁にあった「知らない言葉に出会ったとき、私たちができること」というタイトルの模造紙でした。そこには、子どもたちがブレイン・ストーミングして話したたくさんの方法を、キャスィが書き留めたものです。『理解するってどういうこと?』にはその内容までは書いてありません。すぐ後に、「これもまた、自立心の促進です」と書かれてありますから、読者にも自力で考えるように工夫された「空所」なのかもしれません。私は、「知っていそうな友だちにきく(質問する)」、「先生にきく」、「辞書で調べる」、「自分の知っている言葉と似ているところがないか考える」といった内容だったのかなと思います。実際にキャスィがリタに求めたのは「知らない言葉に出会ったとき」、どのような依存先を探せばよいのかということが「自立心の促進」だというのは、最初に取り上げた『ロボットの悲しみ』に書かれてあったことと妙に符合します。

 依存先を探すことのできる場所に教室がなっているかどうか、つまり、協調性のある関係のなかで知的な発達を喚起するコミュニティになっているかどうか。「依存先を増やす」ことができることは、自立した読み手を育てる環境のとても重要な特徴なのです。「自立心と協調性との緊張関係」(133ページ)があらわれるための大切な条件なのです。

 

 

★岡田氏は、熊谷晋一郎氏の「依存先の分散としての自立」(村田純一編『知の生態学的転回』東京大学出版会、109-136ページ)という論文を参考にしています。

2014年11月15日土曜日

テストというジャンル(の中の詩)


 テストを避けて通れないとすれば、どうするのか?

「テスト作成者は、僕が、彼らが作った質問を理解できているのかどうかを見たいんだね。僕が(テスト問題として出されている)詩を理解しているかどうかでなくて」

 上の文は、今読んでいる本のなかで、でてきた小学校4年生の男の子のセリフです。

面白い分析だと思いませんか?

*****

 ジャンルの特徴を知り、その特徴を踏まえて読む、つまり読み方を変える。これは優れた読者が行っていることの一つだと思います。また読む目的によって、読み方を変える、これも、同じく優れた読者が行っていることの一つだと思います。★★

 テストも、避けて通れないのであれば、「その特徴と目的を踏まえて、読み方を変える、つまり、テストを一つの(特異な?)ジャンルとしてアプローチする」、そんなことを耳にしたことがあり、「なるほどね」と思いました。

 冒頭で紹介したセリフは、RW(読書家の時間)で、詩というユニットを経験した子どもたちが、「共通テストで出題される詩」について、その特徴を押さえようする過程で出てきたものです。

 具体的にこういう方法もあるのだ、と思ったので、以下、紹介します。

 先生は、子どもたちに共通テストの問題(今回は詩についての問題)を配布して、その特徴を考えられるようにしています。

 (これを読んでいると、子どもたちは、すでにRWでどっぷり詩に浸ったあとなので、テストに登場する詩の設問との落差も大きくて、その特徴を見つけやすいように、感じました。)

 先生は、「世界の中にある詩」と「テストの中の詩」と書いたベン図を準備しておきます。

 子どもたちは、まず付箋をもって、テストに登場する詩とその問題を見て、気付いたことを書き込んでいきます。

 先生は子どもたちにカンファランスをしながら、付箋に書かれたことを確認したり、それを深めるような問いかけをしたりします。

 最終的には子どもたちから出たことを、ベン図に書き込みながら、「世界の中にある詩」と「テストの中の詩」の、違う点と共通点を、クラスで深めていきます。

 子どもたちは、テストで詩が出る場合、普段の詩の読み方と、自分のアプローチを変えないといけないことにも気付いていますし、「え? これが小学校4年生の分析?」と思うぐらい、鋭い分析がでています。

 もちろん、この方法は、詩以外のジャンルでも有効だと思います。

   上で紹介した子どもの言葉は、以下の本の32ページにでてきます。このときの授業の様子は3033ページです。
Put Thinking to the Test (Lori L. Conrad, Missy Matthews, Cheryl Zimmerman, Patrick A. Allen著、Stenhouse, 2008).

★★ この点については、Conferring: The Keystone of Reader’s Workshop (Patrick A. Allen, Stenhouse, 2009)66ページに、とても明確な図があります。

2014年11月7日金曜日

自分の成長を後押ししてくれる目標を設定する




 学期の途中に、自分の学びを振り返り、次の目標を設定する、そんなことを考えておられる先生もいらっしゃるかもしれません。

リーディング関係の本★を読んでいて、「成長を後押してくれるような目標とは?」というワークシートをつくるのに、いいなと思うものを見つけました。

そのワークシート自体はとてもシンプルです。(1)「成長を後押ししてくれる★★目標とは?」という定義が書いてあって、その下に(2)自分の目標と(3)どうして、その目標が、自分の成長を後押ししてくれるような目標となるのか、という理由を書く欄がある、それだけです。

ここから自分なりに、自分のクラスに合うように、言葉を変えたり、足したり減らしたり等のアレンジをすればいいように思います。

私は、目標設定の前に振り返りがあるといいように思うので、目標設定に入る前に、振り返りを書く欄をつくろうと考えています。

この本で紹介されている「成長を後押ししてくれる目標とは?」の定義は以下の3つ(自分なりの意訳ですみません)です。シンプルですが、考え甲斐があるように感じています。

― 現在の自分を、現在では到達できていない新しいところへ、伸ばしてくれるもの
― 意欲的に、興味も持って取り組めるもの
― 実現可能であるもの

 またその下に、自分の目標を一度吟味できる欄があるのも、いいなと思いました。

*****
 
  この本は、1017日のRWWW便りでも紹介したSteven L. Layne著の
Igniting a Passion for Reading: Successful Strategies for Building Lifetime Readers (Stenhouse, 2009)
です。この日のRWWW便りにも書いたように、子どもを読書好きにしようと著者の気持ちがヒシヒシと感じられる本です。
★★ ワークシートは31ページに載っています。使われている英語はstrong reading goalなので、「強力な」ぐらいの日本語のほうがいいのかもしれません。

2014年10月31日金曜日

『読解・読書指導事典』



『読解・読書指導事典』倉沢栄吉・藤原宏編を読んでみました。
数字はページ数。青字は、コメント・感想です。

15 読みのさまざまな機能: 理解・思考・反映・想像・判断・評価・類別・理由づけなど。
   読みの経験は、問題の解決、余暇の善用、趣味の拡充発展、教養を変え広める習慣の育成、見解・態度・発想の推進などに関わるもの
   読むことによって、人間が「人間として生きる」ことを求めるのである。 ~ ここまでは、抵抗感なく受け入れられます。

17 従来の読みの指導が一種の心情主義に陥ったり、不正確なあいまいな読みを許していたりしたのではないかという反省に基づいている。(昭和30年以降に、読解指導が華々しく行われるようになる。)学校では、文字文章と正しく対面して、その意味を正しくかつ十分に理解すべきであるというのは、当然の考えである。かくして、学校における読みは二つに分化した。「生活読み」と「学校読み」 ~ 「正しく、正しく」がいまだに続いているということ。偉大なる「正解当てっこゲーム」が。 いったい誰が判断する正解??
 それに対して、欧米ではこの分化が行われなかった!!
18 もしわが国が、イギリスなどのように、Every teacher is a teacher of readingの思想が普及していて、読みの指導が教科を越えて重視されていれば、読解読書の二分観は出なかったであろう。 ~ ということは、必要悪として生まれた読解??
 読解は、学校において系統的計画的に指導が可能な“区切りを持った”働きである。~ そんなこと可能なのかな? 効果があるのかな?
19 要するに読解は文章をたいせつにし、その形や要素を認識し、また、文章とその意味との対応を認識しようとする時にあらわらにある行為である。したがってすべての文字言語は読解の対象となり得る。けれども、そのために、文献が文献として意識されず、文学作品が理性的認識によって分解されてしまうことになる。この点が指導上の問題となる。 ~ 推進/実践している人たちは、この課題を通り越した弊害を認識してやっているのかな?
 33 国語科の読むことの指導の特質は、読みの能力を養うべく、意図的、計画的に行われる指導である ~ 今の、教科書をベースにした指導が、それを体現していると言える? もちろん、「読みの能力」をどう捉えるかによりますが。
  日本の読むことの指導の特質
(1)    教科書教材中心の読み
(2)    一斉指導中心の読み
(3)    基礎学力養成のための読み
(4)    必要な諸知識や情報を得させるための読み
(5)    心情を豊かにするための読み
(6)    国語の特色、ことばに対する諸知識を得るための読み
(7)    読みの能力を養うための練習学習としての読み
  確かに、この通り今もやられ続けている印象です。(1)と(2)の方法をとってしまうことによって、「正解当てっこゲーム」ないし「教師が求めることに従う/を当てる授業」が横行してしまい=(7)、結果的に(3)から(6)が得られないという残念な結果が起こっている/続いている。

34 国語科における読みの指導は、生活と結びつく要素を何らかの形において、常に混入することによって、練習的色彩のもたらす欠陥を補うような指導上の考慮をすることが必要である。そうすることによって、国語科で養われた読みの能力が日常の生活における読みの能力へ転化、発展することが期待できるのである。 ~ これが書かれてから40年も経つというのに、いまだに実現されていない!? 必要悪を後生大事にやり続けているからなのではないでしょうか?  最初のボタンの掛け違えを後で直すのは大変だといういい例としか言いようがありません。 それの被害者は、子どもたち。ちなみに、私もその一人でした。 まったく、国語科が役に立たなかった(あるとされていた「恩恵」をまったく受けていなかった)のですから。
 
43 読解能力
    (1) 音読や黙読や朗読をする。
    (2) 文字を読む。

​ ~  RWで抜けているものは、ないです!

それに対して、
48~51 読解・読書を統一した「読む力」としての読書力が紹介されている。 ~ こちらもすべて、RWでカバーされている!  問題は、日本の読解・読書指導がここで止まっているのか(これらをすべて満たせているのか)ということです。少なくとも、欧米の読みの教育は過去40年間、かなり進化してきています。たとえば、『理解するってどういうこと?』で紹介されているように。)

第14章 文章の形態別による読むことの指導 
~ これだけのジャンルが提起されているのはいいが、教科書の中では? RWや『理解するってどういうこと?』(209~219ページ、特に211ページの表は上記のコピーとほぼ同じ!)

第18章 読むことの指導技術 
 ~ 一斉授業の技術以外は、言語活動的なものとして教師が指導するのではなく、子どもたちが意味のある状況の中で当たり前にし続けることとして行われ続けます。

第19章、第20章の 評価  は、かなりピンボケ (というか、指導=P.33の(1)と(2)とみごとに一体化している!ということ。これじゃ、教え方の改善につながるわけがない!!)

第21章  の 読むことの教育の史的展開  も、これらが今の読解教育に強く影響しているということで紹介されているのかもしれませんが、これからのあるべき姿を考える際の役に立つのでしょうか??

(章に言及していないところは、見る価値もないということで、ボツにしました。)

これは、1973年に出た本です。
その後に、日本の国語教育をよくするための本で読むに値する本は出ているのでしょうか? ご存知の方は、ぜひ教えてください(宛先:pro.workshop@gmail.com)。