2014年12月26日金曜日

子どもたちの読むことへの情熱に火をつける



12 読むことが好き、読むことを楽しんでいるか、どれだけ自立して読めているか、は評価されない。評価は読解に限定されている。それでいいのか?

好きで楽しんで読んでいれば、読むスキルもドンドン伸びるが、好きでも楽しんでもいなければ(=お付き合いで読んでいては)、スキルが伸びることはほとんど期待できない。

何を評価するかは、とても重要!! ~ 日本の正解アプローチは、何のため?

13 多くの子どもたちは、読むこと、特に文学を読むことのいい体験を学校での授業でもっていないので、卒業した時が本を手に取るのが最後になる。在校時も、決して進んで手に取っていたわけではない。

 生涯読み続けるぐらいに好きになるようにしたい、という姿勢で、教師が臨むか、臨まないかは大きな違いを生み出す。単に教科書をカバーするだけ、本を紹介するだけでは、ダメ。

 以上は、Igniting a Passion for Reading ~ Successful Strategies for Building Lifetime Readers, by Steven L. Layneに書いてあったことです。(数字は、ページ数) これは、司書はもちろんのこと、多くの教師や保護者も望んでいることではないでしょうか。それとも、国語のテストでいい点数をとることでしょうか?

 それを実現するために、具体的にやれることとして、この本では

・まずは子どもたちを知ることから ~アンケート等で(第2章)
・ブックトーク (第3章)
・読み聞かせ (第4章)
・一緒に読むこと (第5章)
・本についての話し合い (第6章)
・読みやすい場所を提供する ~ ハードは大切 (第7章)
・作家に訪問してもらう (第9章)

 などが紹介されています。

 あなたが、子どもたちの読むこと(あるいは、書くこと)への情熱に火をつけた事例を、年末・年始の期間に時間を見つけて書き出していただき、ぜひ(pro.workshop@gmail.comに)お寄せください。

 今年最後のRW&WW便りでした。
 よいお年をお迎えください。

2014年12月21日日曜日

『新訳 被抑圧者の教育学』と『理解するってどういうこと?』


パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』という本をご存知でしょうか? 私は大学院生の頃に購入して読んではいたのですが、訳文がなかなか呑み込めずに、何度も何度も読み直したのを覚えています。わかったつもり、でいました。
 ところが、三砂ちづるさんの『新訳 被抑圧者の教育学』(亜紀書房、2011年)を読んだところ、びっくり。同じ出版社から出された以前の訳が1979年5月初版ですから(私が大学に入学した年です!)、30年ぶりの新訳です。たとえば、

(旧訳)実践とならない言葉は、真の言葉とはいえない。したがって真の言葉を話すということは、世界を変革することである。(95ページ)

(新訳)本当の言葉のないところに実践はない。だからこそ本当の言葉は世界を変えることもできる。(118ページ)

 旧訳も、重みがあるのです。それは疑いようがない。でも、すんなりと私の頭のなかに入ってくるのは新訳のほう。「本当の言葉のないところに実践はない」と言われたほうが「実践とならない言葉」と言われるよりもしっくりときます。「真の言葉を話す」ことがそのまま「世界を変革する」と言われても、その実現には大変な困難が予想されるように思われます。でも、これを、「だからこそ本当の言葉は世界を変えることもできる」と言われると、「本当の言葉」を求めたくなる、やってみようかなと思えてくるのです。三砂訳の巧みなのは、今の部分で「も」を使って、読者に選択肢を与えていることではないかと思います。
 そして次のような一節にも魅力を覚えます。
 

「銀行型」教育ではなく、問題解決型教育のビジョンをもつような手段として、雑誌や新聞の記事や本の一節を読んで議論したりすることもあるだろう。前にあげた専門家のインタビュー録音のときと同様に、記事や本の一節を紹介する前に、著者はどういう人なのか、一言加えることは必要なことである。その後で読んだものの内容について議論を進めるのがよいだろう。

 読み物を使った同じ方向の作業として、同じ事件を取り扱ったいくつかの新聞記事の内容を分析してみることも欠かすことのできない重要な作業だと思う。同じ事実がなぜ新聞によってこんなに違ったふうに書かれるのか? そのようにすることで人々は批判精神を身につけ、新聞を読んだり、ラジオを聴いたりするにあたり、ただそこで流されている情報を受け取るだけの受動的な姿勢から、自由を求める意識的な主体となっていくのである。192ページ~193ページ

 ここで知識を詰め込む「「銀行型」教育」と対照的に示されている「問題解決型教育」とは、リーディング・ワークショップそのものではないでしょうか。
  『理解するってどういうこと?』の参考文献に『被抑圧者の教育学』は上げられていないのですが、三砂さんの訳だと、フレイレがキーンさんと重なって見えてきて、奥行きがさらに広がります。三砂訳でフレイレを改めて読んで、そういうことに遅ればせながら気がつきました。30年前の私が、そのことに気づくのは無理でしょうが、それなら、私はいったいこの本の何を理解していたことになるのでしょうか? 『理解するってどういうこと?』の第7章「変わり続けること以上に確実なことはない」で、ネルーダが「よきメンター」に選ばれている理由や、第8章「すばらしい対話」の「よきメンター」にピカソとマチスのライバル関係がどうして選ばれているのか、よくわかるのです。そして読んで理解するということは、「流されている情報を受け取るだけ」のことではなくて、つねに本や情報を読み解かれるべきものとして捉えて、「自由を求める意識的な主体」となることなのだという思いを強くします。この二冊を重ねて読むと。

2014年12月12日金曜日

クリスマスに本リストはいかが? ~2014年のお薦め本を教えてください~

「他の人のお薦めを読もう」というテーマで、2013年年末のRWWW便りを書きました。 http://wwletter.blogspot.jp/2013/12/blog-post_27.html#comment-form

 今年も、はや12月となり、自分の読書ノートも見ながら2014年の読書生活を振り返っています。

 もし、よろしければコメント欄などで、2014年のお薦め本や、この1年の自分の読書生活のハイライトを教えていただけると嬉しいです。人のお薦め本は、私にとって、自分の読まないジャンルや知らなかった本を読むきっかけになるかことが多いからです。

 そういえば、以前、「バレンタインを、チョコレートでなくて本を贈る日にすれば?」とおっしゃった人がいましたが、1年に1度くらい、本を贈るのもいいですよね。あるいは、(可能であれば贈る人様にカスタマイズした)お薦め理由つきの本リストを贈るとか???親しい人であれば、たまにはそんなクリスマス・プレゼントも悪くないかも???

 さて、自分の読書ノートから、2014年に読んだ気になる絵本作家を選ぶとすると、ジャネル・キャノン(Janell Cannon)かなと思います。

 Stelalluna (邦訳は『ともだち、なんだもん!~コウモリのステラルーナの話』今江祥智訳、ブックローン出版)はメッセージがはっきりしすぎている面もありますが、よく考えられた絵本だと思いますし、読み返すと新たに気付く点もあり、「何度もおいしい本」とも言えます。

 (私は英語を教えていますが、ストーリーが分かったあとに、今度は書き手の目から書き手の工夫を学ぶために読むこともできます。たとえば台詞の前後で、 said の代わりに使われている単語を拾うだけでも、cried, hissed, warned, sighed, stuttered 等々、多様な動詞が使われていることが分かり、英語を書くという点からも、学べるポイントがけっこうあります。)

 その後、同じ著者のTrupp (これは邦訳がでていないようです)も購入。こちらもよかったので、この作家の残りの本も図書館にリクエストを出そうと思っています。

*****

 私は2014年の読書生活の特徴は、オンラインで読めるものをたくさん読んだことです。上の本も、ハリウッドスターなどが絵本を読み聞かせてくれているサイトで出合いました。http://www.storylineonline.net/

 もうひとつ、オンライン系ではTEDのサイトでプレゼンをたくさんみました。このサイトは日本語の字幕が出せるものも多数あります。
http://www.ted.com/

 英語教育では、TEDを使う人が、最近、増えてきているように思います。

 まずは、この夏にとりあえずTEDで100のプレゼンを見ようと決めました。多様なプレゼンがあり、単純に大笑いできるもの、感動的なもの等、いろいろですし、世界には多様な人がいるのを改めて感じます。現在では、見た数は200を超しました。(このサイトは、私のここ数か月のリーディング・プロジェクトだったようにも思います。)

 学習者からも、TEDの面白いサイトを教えてもらうことも多かったですが、その中の一つを紹介します。日本語の字幕も出ます。

How movies teach manhood
http://www.ted.com/talks/colin_stokes_how_movies_teach_manhood
(邦題「映画が男の子に教えること」)

これは、メディアリテラシーとも関わると思います。自分の読んでいる本についても、主人公の問題解決方法は力や暴力なのか? 主人公の性別は? 等々にも目がいくようになりました。

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 お薦め本やお薦めプレゼンなどは、またいつか続きを書ければ、と思っています。

2014年12月5日金曜日

目的と評価の関係


「教えるという行為は、どういうことなのか」彼これ30年ぐらい考え(もがき)続けています。

・子どもたちが知らないことを、わかるようにすることなのか?
・これまでできなかったことを、できるようにすることなのか?
・知識や技能はもちろんのこと、それと同じ(か、それ以上)に大切な態度や姿勢 ~ 具体的には、EQとライフスキル社会人基礎力など ~ も身につけられるようにすることなのか?

・子どもたちが自立的かつ主体的に学べるように、子どもたちと一緒に授業をつくり出していくことなのか?
教師や教科書の知識や価値観を越えて、教師が予想もしなかったような発見・気づき・学びを子どもたちが実現することなのか?
などです。★

そして、
それらを実現するための効果的な方法には、どのようなものがあるのか?★★

上記のことはすべて、それがどう達成されているのかという評価と密接に関係します。
(ここでいう「評価」は教え終わった後にするテストやつける通知表とはまったく別物です。)

それは、
1)何はすでにできていて/知っていて(強み)、さらに伸ばせるのか
2)何はまだ十分ではなく(弱み)、伸ばす(補強する)必要があるのか★★★
を把握し続け、その判断に応じて適切に指導/サポートすること(まだ扱っていない前回の4番目の項目)です。

子どもたちの状況は一人ひとりかなり違いますから、必然的に、個別的なアプローチ(指導/サポート)にならざるを得ないことを意味します。

なお、評価(状況把握)をするときに、前回提示した
 ・今日読む目的は何か? → この本をなぜ読んでいるのか?
 ・何を明らかにしたくて読んでいるのか?
 ・自分が理解したこと/知ったことをどう示せるのか?
 ・読み手としての自分について今日何を学べるのか? 自分はどう賢くなるのか?
を、読み手(そして教師も)がどれだけ意識しているかは決定的に重要な気がするのです。(書く場合は、書き手と教師が)

何といっても、何よりも大切なのは、他者による評価ではなく、自己評価ですから。教師も含めた他者による評価は、あくまでそれを補うものでしかありません。

もし、読み手も、教師もこれらを意識していない場合は、どういうことが起こるのでしょうか?

現状の「朝の読書の時間」や「図書の時間」や「国語の読解の授業」が続くだけのような気がします。それで果たしていいのでしょうか? それで読む力はついていくのでしょうか? 「自立した読み手(あるいは、書き手)」になっていけるのでしょうか? 教師は、よりよい授業ができるようになるのでしょうか?

目的・目標と評価は、コインの裏表の関係にあります。★★★★
特に、評価と指導と一体化を考えた場合は。

最初に戻りますが、教えるとはどういうことかを考える時に、日本の教育(というか、日々の授業)を見て弱い状態であり続けているのが、これら目的(目標)、評価、そして指導の3者の関係のような気がします。子どもたちが参加する目標設定や評価や指導(教え合い)にしていくためにも、前回の1)目的 と2)本物 を意識することはとても大切だと思うのです。



★ 他にも、いい説明の仕方があったら、ぜひ教えてください。

★★ いろいろある中で、もっとも効果的な方法の一つは確実にライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップおよびそれらの他教科への応用だと思います。少なくとも、上の5つの問いは満たす教え方だと思います。

★★★ この2つの項目以外に思いつく方がいたら、ぜひ教えてください。

★★★★ ちなみに、日本で現在行われている指導目標の明確化とそれに準拠した評価(=評価規準)は、あくまでも教師側の建前(指導案レベルの「作文」?)であって、教えられる側の生徒たちにとってはまったくと言っていいほど意味のないものです。子どもたちが目標設定に関わっているわけでも、評価によって学びが促進する形で行われているわけでもありませんから。(正直、私は無駄なことに時間をかけているな~としか思えません。「無駄」を通り越して「弊害」と言った方がいいかもしれません!)従って、今のままでは「指導と評価の一体化」は、「絵に描いた餅」状態が続くことを意味します。