2014年5月30日金曜日

『読書家の時間』を読んで (1)


『読書家の時間』を読んでくれた3人の感想を紹介します。
 
1)
 『作家の時間』もそうでしたが、どのように取り組んできたか(これまで)を書いた本ですけれども、どのように取り組めばよいのか(これから)を示してくださっています。基本的に一貫した声で語られているのに、子どもたちや先生たちや保護者の皆さんの魅力的な言葉が、きちんと活きていて、引き込まれてしまいます。
 ひたすら読んで、ひたすら書く時間を生み出して重ねることで、一人ひとりの無限の可能性を信じて、自立をサポートしていくそのすじみちを見せていただきました。
 丁寧に語られたこの本を読んで、To Understandの原稿に目を移すと、エリンさん(=著者の名前)の書かれていることがさらにぐっと立体的になる思いです。★
 また、第10章の「教師の変容」のインタビューは、思わず身を乗り出すようにして読んでいました。「読者家の時間」と出会い、この取り組みの意味を、もがきながら、頭のなかでじっくりと考えながら、しっかりと自分のなかにつくり出していかれたことに。
読むことを通じて、その子どもが「その子らしく」学習することができる。教師も授業をするたびに、新しく見えてくる「その子らしさ」を「ありのまま」受け入れることができる…
という宝物のような考えに、心打たれます。
山元隆春 (広島大学)

  <以下は、メルマガからの続き>


2)
 大学院時代から、良い読み手とはどのようなものなのかについて、考え、様々な文献にあたってきました。さまざまなストラテジーについて調べ、さまざまな教え方についても調べてきました。
 実際に教え始め、できるだけ大学院時代に得た知識を使ってよい読み手を育てるということを目標に授業を計画し、実践してきました。
 しかし結局のところこれまでの教師が文章の内容を説明するということから大きく授業スタイルを変更することはできていなかったように思います。昨年度は一年間少しずつ新しいことに挑戦したつもりではいますが、まだまだ単発の試みになっていました。
  そんな中、私が常に思っていたのは、国語における読むことや書くことの指導を部活のようにできないかということでした。読むことはスポーツのようなもの で、まず読ませてみて、それぞれの読みに対してよりよい読み方をするためにはどうすべきかの指導を考える。同じ課題を持った生徒を集めて指導をする。その 間ほかの生徒は自分のやるべき課題をこなしている。少しずつではあるが、いろいろな本を読むことができるようになっていく。なんとかそんな授業ができない かと考えていました。
 その中で昨年度から読み始めたのが「ワークショップで学ぶ」のシリーズでした。
 これまでも、海外のReading Instructionに興味を持ち、様々調べて来た中、この四月に『読書家の時間』が刊行され、海外の理論及び実践をもとにした日本での実践についての本ということで読ませていただきました。
 個人的に一番これから有用だと感じたのは、ミニ・レッスンの内容をまとめた表でした。(p78-80) これまで、指導要領や自分のしてきた勉強から自分なりに考えてきているつもりではいましたが、生徒の読みをみて、教えるべきことは何なのか、どこを見れば いいのかまだまだはっきりしておらず、これからまとめていかなければいけないなと感じていました。ですが、この表を見ることで、生徒の読みのどこに着目し ていけばいいのかがまとめられており、今まで以上に具体的な指導が可能になるのではないかと感じています。
 また第10 章における教師の変容も興味深く読ませていただきました。さまざまな研究でも示されているように、新しいことに挑戦することは時間がかかるのだということ を改めて感じました。挑戦を始めた最初はこれでよいのか不安にもなり、成果がでないことに焦ってしまうと。いきなりの成果を求めてはいけないのだなという ことも。完璧な例ばかりを示すのではなく、失敗のような話を知ることで、少しずつやってみようと言う気にさせてもらえるな、とも感じました。
  最後まで読んだ上でやはり。と思ったことは、メンバーが皆さん小学校の先生方であることです。どこに行っても指導方法に関しては小学校での実践が非常に多 いのです。私は高等学校の教員をしておりますが、もっともっと教科間の連携をはかっていけるといいなと思っております。国語だけで読み方などを教えるので はなく、その読み方を他の教科領域でも応用したりしていけるような授業を展開できるように学び続けていきたいと思います。アメリカでは様々な教科で読むこ とや書くことを取り入れるというような指導が行われているという研究もよく聞きます。何が日本の実情に合うのかをこれからも考えてきたいと思っています。
神奈川県立旭高等学校
国語科教諭 進路支援
小岩井 僚

3)
 「授業って何だろう?」「誰のための授業なのだろう?」 ~ この本は、改めて、じっくり考える機会を与えてくれました。

 印象に残っているのは第4章「カンファランスと一斉授業の違い」です。
P92「カ ンファランスは、教師と子どもが今後の学習について協力しあいながら考える作戦会議である」という言葉がありました。別に疑問を持たずに、そうだな、と 思ったのですが、この文をかみしめてみると、「協力しあいながら」って教師それぞれの価値観が含まれるな、と思ったのです。
 最 近、個別指導を見る機会がありました。子どもの学習観察や書いた作文を熟読していても、荒さがし。イケてないところをたたくための準備?! その後、「こ こが違っている」「これでは相手には伝わらないよ」「私には伝わらない」と個別に指摘してダメ出し(教師本人はそう思っていない)。教師の言われたとおり に改善した子どもに「よくできたね!」と褒める。これって何でしょう。教師の満足度を上げるための個別アプローチ?!
  「子どもと協力しあいながら」「子どもと話し合いながら」 ~ このことを意識していたとしても、いつしか「子どもに一方的に」になっているのでは。問題 点ばかり見つけてその指摘ばかりしていないか。自分自身の子どもに対する関わり方を改めてふり返りつつ、授業全体でも同じことが起こっているのでは、と 思ったときハッとしました。
  今、授業改善が叫ばれ、子どもが主体的に学ぶ授業の創造がスローガンとして掲げられています。でも、教師が一生懸命説明し黒板に板書するスタイルはまった く変わっていません。子どもが楽しいといわれる授業も、よくよく見ると教師の話が面白いということだったり、ゲーム性を高めたものだったり(チーム競 争)。タメになる授業といわれる授業も、テストの点数がいかに取れるか、効率的に覚えられるか、問題がよく解けるようになるかが中心。ファシリテーション を意識した「学ぶ主体を子どもに渡す授業」も、子ども達を見るとどこかやらされ感があり、大人の存在が大きい大人中心の授業。

P105「その正しさを確認するのではなく、その子どもが疑問に思っている点や分からない点が何なのかを明確にしたり、本を読んで想像を膨らませたことを言語化できるように支援します」
 正しさに縛られていると、いつしか「協力しあいながら」が抜けていくのかもしれませんね。

*第10章 教師の変容 は自分と同じ経験があちこちにあり「そうだよね」「そうだよね」とつい言葉に出しながら読んでしました。教師の生の声(かなり悩まれていたときの様子・気持ちの揺れ動き)はかなり心に響きました! 
  Nさん


 以上3人のを紹介しましたが、第2回目も考えていますので、ぜひ皆さんの感想をお寄せください。
同じ本を読んでも、読む人によって読めるものが違うのが本です。誰かが、「読むことは、読んでいるその人を読むこと」と言っていました。従って、読む時で、読めるものも違ってきます。(さらに言えば、「読みたいものしか読めないのが本」です。)
また、『リーディング・ワークショップ』の中では、 アラン・パーヴスの言葉を2度も引用して(40ページと73ページ)、「本を読むには二人が必要」を強調していました。最低でも二人が必要ということだと 思います。一人だけでは、あまりにも見えないものが多すぎるので。なんと言っても、いまの自分が読めるものしか読めませんから。★★

★ この翻訳本は、『理解するってどういうこと?』(仮題、エリン・キーン著)というタイトルで、2~3か月後に出版されます。私がこれまで出版に関わった本の中で一、二を争ういい本です。(こちらからも、著者の<もがき>が伝わってくる本です。それも、触発される<もがき>が。)

★★ さらに言えば、なんと書き手ですらすべては見えていません!! (詳しくは、『「読む力」はこうしてつける』の41~43ページを参照ください。) だからこそ、書くときも共著やチームで書くことが大切なんだと思います。

2014年5月23日金曜日

「作家の椅子」の他教科への応用

 作家の時間(ライティング・ワークショップ)を実践している方のほとんどは、「作家の椅子」をされていると思います。とても効果的な方法ですから。
これを他に使えると思ったことはありませんか? もちろん、読書家の時間(リーディング・ワークショップ)で「読書家の椅子」や「詩人の椅子」としては使えますが、社会や理科、ひょっとしたら算数・数学等でも使えます。

その名も、「質問殺到の椅子」というのはどうでしょうか?
ある子がその人物になりきって、質問を受け、答えるのです。たとえば社会なら、聖徳太子、源頼朝、足利義満、織田信長、徳川家康、安倍晋三(?)などなど★。

答える方は、もちろん「何でも知っていないと、答えられません」し、質問する方も、「ある程度知っていないと、質問できません」。特に、椅子に座った人が答えるにこまるような質問をするためには。

5年生の国や、4~3年生の地域について学ぶ際には、その道の専門家/担当者になりきる形で使えるでしょう。
ちなみに、これはそもそも1年生での実践例ですから、もちろん1~2年生の生活科でもできます。
理科の場合は、それ(虫、魚、花、等々)が専門の科学者★★であったり、算数・数学の場合は、ある問題を解いた数学者(?)として。
ぜひ、試してみてください。

従来の総合的な学習などでされている「発表」よりも、発表するのと聞く両者にとってはるかに効果的であることは間違いありません。

 なお、その人になりきった子は、「わかりません」とは言えないので、何かをでっち上げて質問者およびクラスが納得できるような回答を言う練習にもなります。教師やクラスメイトがその答えに納得しない場合の対処法も学べるとてもいい機会を提供してくれるのではないでしょうか? 世の中、すべての答えがあるわけではありませんから。

 テーマが同じであれば(たとえば、国づくり)、6人の子が、聖徳太子、源頼朝、足利義満、織田信長、徳川家康、安倍晋三の役をやり、残りの子たちが変わりばんこに質問をすることも可能。校長や教頭(や保護者)にも参加してもらうという方法も!!
 もちろん、有名な人だけでなく、「ごみ収集のおじさん」「リサイクルセンターのおばさん」「東電の職員」「水道局の担当者」「自動車工場の労働者(か工場長)」「農家のおじさん」・・・などなどになってもらうことも大切です。それなら、実際にインタビューもできますし。

 自分がそのことについて書いたりする場合は、特に「質問殺到の椅子」が威力を発揮すると思います。読み手が知りたいことのほとんどが、事前にわかってしまいますから。

参考:Many Texts, Many Voices by  Penny Silvers and Mary C. Shorey, 51ページ


★ もちろん、この名前を挙げていけば切りがありません。いま大河ドラマで主人公の黒田官兵衛でもいいでしょうし、高山右近でもいいですし、名もない足軽ならもっといいでしょう(資料を集めるのは困難ですが!)。さらには、『ハーバード 白熱日本史教室』流だとLady Samuraiのねね(豊臣秀吉夫人)、細川ガラシャ(明智光秀の三女で細川忠興の正室)、お江(母親のお市は織田信長の妹、姉は淀君、二大将軍徳川秀忠と再婚、家光の母)たちでもおもしろいと思います!

★★ 科学者よりも、当事者の方がおもしろいかもしれません。たとえば、光合成、ゴキブリ、寒冷前線やエル・ニーニョ、心臓などです。

 なお、「作家の椅子」の他の応用法を実践されている方、考えた方、ぜひ教えてください。

2014年5月16日金曜日

映画(ビデオ)づくり


 子どもたちに、映画やビデオづくりの課題を出すとイキイキします。
 子どもたちは、すでにマルチ・メディア時代に生きていますから。
 そうなると、従来の印刷された文字媒体だけの学習環境から、多様なメディアを活用する学習環境への転換も求められています。

 When Writing with Technology Mattersという本では、マルチ・メディアを使う効用として、以下の10項目が紹介されています。

 1 目的/成果品は大切。同時に、プロセス(過程での学び)も大切
  魅力的な成果品(映画づくり)があるので、子どもたちは過程をいとわない。平気で乗り越えてしまう子たちが多い。発表前の1週間ぐらいは寝るのも惜しんで。
 2 コミットメントの違い
  これは多分に、魅力ある成果品(映画づくりとビデオづくり)がもたらしている。ハードルが高い分(本当の対象に向けての製作物なので)、打ち込み方が違う。子どもたちの中には、睡眠時間3時間というような子たちも結構いた。そうしないと完成しなかったから。
 3 批判的思考、創造性、問題解決、意思決定がふんだんにあった ~ 一人で、チームで
  成果品の発表の日程だけが決まっていて、残りのスケジューリングはすべて任されていたので、自分たちでやらない状態に置かれていた。それが、社会人基礎力のすべてを満たすことにも。
 4 探究スキル ~ すべてのメディアから情報収集し、それを加工して発信する力
  書く前の一時期だけでなく、常日頃行うものに転換する。
 5 協力して事に当たれる力
  個人でやれることとチームとしてできることとの違い ~ 個人執筆・分担執筆から共同執筆の時代へ
 6 教師以外の本当の対象に発表することの大切さ
  YouTubeに瞬時に載せられる時代!! 「テストにパスすればいい」というレベルとは違う。切実感が。一夜漬け(二夜漬け)でこなせるレベルとは。 本当のフィードバックが、さらなる学びにつながる。
 7 修正する(し続ける)ことの大切さを認識
  まさに、re-visioning(修正し続ける=絶えず、ビジョンを考え続ける)のプロセスになっている。これは、1~6すべてがあったから? 単に下書きの後でするというのではない!
 8 たくさんのジャンルに触れ、かつ使いこなす機会
 9 教師のスタンスは大切
  子どもたちはできると信じないとできない。みんな違うことをしているんだから。子どもたち相互に学び合えることも。
 10  エンパワーする(元気づける)アプローチ
  みんな学んでいることが違う。同じ部分もあるが。いいところを伸ばすアプローチ。教師も学べるアプローチ。そして、その元気を教室の外ともシェアする!!

 上記の本で具体的に紹介されているプロジェクトの事例は、以下の2つです。
 なお、注目していただきたいのは、これらをする過程で、しっかりと読むことと書くことが位置づけられていることです。それらを目的として位置づけるのではなく、手段として。そうすると、子どもたちは違和感なく(というか、抵抗感なく)取り組んでしまうのです。目的である映画をつくるために。

 ① 小学校高学年の「映画づくり」プロジェクト
  ・読み ~ 小説を読み、ブッククラブをし、ブログに書いた。RW
具体的には、たとえば『テラビシアにかける橋』や『ギヴァー』(『ギヴァー』もこの秋には映画が公開されるので、本と映画の比較のレッスンも可能になります。)
  ・書き ~ 小説をベースにシナリオを書く。WW
  ・実際に映画づくり ~ Window’s movie makerを活用

 ② 中学校の歴史を書くプロジェクト ~ 時代は中世からルネサンスが対象
  ・読み ~ この時代の小説を読んで、ブッククラブをし、探究プロジェクトのテーマを挙げる。 RW
  ・探究 ~ 本とオンラインの両方を使って調べる。歴史の授業
  ・書き ~ 多様なジャンルで調べて発見したことをまとめる(個人とチーム・プロジェクト) WW
  ・ビデオづくり ~ 時代について知ってもらうためのビデオの製作

   参考:When Writing with Technology Matters, by Carol Bedard and Charles Fuhrken

2014年5月9日金曜日

『読書家の時間』の裏話シリーズ その3



それは、書いた分量を大幅に削減したことです。
それも、なんと原稿の3分の1もです。

せっかく書いたのに、もったいない!!
まったく、その通りです。

しかし、いい本にするためには必要不可欠な作業でした。
結果的に、247ページの本になっていますが、カットしなかったら350ページを超えていました。(それでは、とても買って読んでもらう本にはなりません。たとえ、内容的には吟味されていたとしても、料金的に、そして読まないといけない分量で大きな問題がありますから。)

削減の過程は、以下のようなプロセスをたどりました。
まずは、各章の執筆担当は、自分のベストを尽くして書きたいだけを書きました。
最初から、ページ数を割り当ててその分量だけを書いてもらうという選択肢もなかったわけではありませんが、それでいい本ができるとは思えません。(従来の分担執筆のアプローチなので。)
書いたものに対しては、「大切な友だち」とのやり取りを経て、ブラッシアップ(修正)の作業が繰り返し行われました。それでベストになったものを今度は残りのメンバーに読んでもらってフィードバックをもらって、さらに修正が行われました。
それらの原稿が集まって、ようやくベストの原稿が完了です。
しかし、上に書いたように、それでは売れる本の分量をはるかに超えていました。
そこで、今回の実践をするにあたって一番参考にした本である『リーディング・ワークショップ』のページ数を見ると、244ページです。値段も、本体価格が2200円。分量も、値段も、「これ以上だと、知り合いの先生たちにすすめられないよね」ということで合意。(ちなみに、この翻訳書の原書はなんと、580ページもある本で、全部を訳していたら千ページ近くはいっていた本でした。従って、日本版は「いいとこ取り」の本になっています!! もちろん、そういう3分の1ぐらいしか訳していない本ではありますが、必要なところは載せましたし、読んで違和感の内容にも最大限配慮したつもりです。これも、日本の本づくりの実態であることをご理解ください。厚い本は売れません!)

分量を削減するには、「大切な友だち」(=ピア・カンファランス)とは異なる能力というか視点が要求されます。つまり編集者の視点です。このことについては、まさにそれをしている時にすでにブログで紹介させていただきました

「要約は、愛情のない他人だからできる。書き手と読者にはできない」と塩野七生さんが『わが友マキアヴェッリ』(107ページ)の中で書いていますが、削減する作業も同じといえる気がします。クールな目(立場)でないとできません。
でも、いい本にするには両方必要でした。
この作業を自分たちでしたおかげで、出版社の本物の編集者の負担は大分軽くなった(?)と思います。そして私たちは何よりも、読むことの教え方についての本を書きながら、同時に書くことについて学び、さらに書くことの教え方についてのヒントまで得ることができました。

なお、「読書家の時間」出版記念イベントとして「本の手渡し会=ブッククラブの体験会」を企画しています。詳しくは、https://www.facebook.com/events/318393338316462/?ref=22をご覧ください。

2014年5月3日土曜日

『読書家の時間』の「新刊案内」と「あとがき」

 前回に引き続き、『読書家の時間』の出版に至る過程での裏話シリーズです。

 今回は、終わりに近い段階での裏話で、「新刊案内」と「あとがき」です。

(1)「新刊案内」裏話 

 この「新刊案内」裏話は、実は、他の執筆メンバーも知らなかったのではないかと思います。
 
 『読書家の時間』の修正を重ねている段階では、その章を象徴的に表すような子どもの声や短文が、章の冒頭に書かれた原稿が出てくるときがありました。インパクトも強くて、いいなあと思いました。


 私は、すべての章の冒頭が、象徴的な子どもの言葉、もしくは、象徴的なフレーズで始められないかと思い始めました。それで、原稿を読みながら、そんな言葉候補を集めて、執筆メンバーに提案しようと、密かに?候補の言葉を集めた表を作り始めていました。

 最終的には、上記のような提案をするには至りませんでしたので、「幻の表」となりました。

 しかし新刊案内の原稿をみんなで読みあうなかで、私はその表に残った言葉やその言葉から得たアイディアなどから、ほんの少しだけですが提案しました。新刊案内の中には「幻の表」の中に候補としてあった言葉がいくつか入っています。

 (2)「あとがき」裏話

「あとがき」に何を書くのか?というブレイン・ストーミングを、メール上でしていたときに、一人の執筆メンバーが、「あとがきには、これからの夢や希望を語りたい」と言ってくれました。

「これからの夢や希望」というコンセプトが、「あとがき」のスタートになった気がします。


 この言葉を聞いて、思い出した本が、ピーター・レイノルズの『ほしをめざして』です。

 正確に言うと、『ほしをめざして』の本自体というよりは、他の執筆メンバーが、何年も前にこの本に貼ってくれた付箋に書いてくれたコメントを思い出したのでした。

「終わりは始まり、まさに自分にぴったりの本」、そんなコメントだったと思います。

 このコメントを思い出したおかげで、『ほしをめざして』を「あとがき」に使え
ないかと考えはじめました。そして、この本の引用を「あとがき」にいれることを提案しました。

「夢や希望」というコンセプトで、次に思い出したのが、第2章の「読書環境」や「Q&A」など、いろいろな章の意見交換をしていたときに、執筆メンバーが、それぞれに語っていたことでした。

 たとえば「読書環境」の章にもっと詳しく書きたかったお互いが尊重される教室
の様子、「実践をつづけていくと、自分の教室限定の閉じた実践では続かないし、
この教え方が広まらないことがわかる」や「本好きの●●さんだからできる実践
(つまり、本好きの●●さんしかできない実践)と言われて終わりにしてほしくな
い」という言葉、また大人のブッククラブを主催しつづけている執筆メンバーの
こと等々が、次々に頭に浮かびました。

 そうか、ここに夢や希望があるのだ、と思ったときに、「あとがき」の形が見え
てきました。

 そのアイディアを執筆メンバーでのメーリングリストに流して、みんなで修正と
校正をしたのが、『読書家の時間』の「あとがき」で、「あとがき」も、分担執
筆ではなくて、共同執筆でした。

 ひとりでは形にならないものが、アイディアを出し合うことで形になる、という
ことを体験することができた「あとがき」でもありました。