2015年12月25日金曜日

あなたが今年読んだオススメの本は?

WW&RW便りも、今号が今年の最後です。

1年間、自分は成長したかな?
何をおもしろいと思ったのかな?
何には怒っていたのかな?
何で幸せを感じていたのかな?
などと考えてしまいました。★

自分の成長とは少し関係のある、今年読んだオススメの本は・・・・

・(ちょっとタイトルはいやらしいですが★★)『学力をのばす美術鑑賞』フィリップ・ヤノウィン
・(『読書家の時間』の執筆者の一人の都丸さんに紹介してもらった)『エミリーへの手紙』キャムロン・ライト
・(原書が出版された時に、ある出版社に翻訳を勧めた)『ワンダー』R.J.パラシオ
・(日本でこのような本が出るまでにはあと何十年かかるかな~と思ってしまった)『イギリス教育の未来を拓く小学校』マンディ・スワン&アリソン・ピーコック他
・(教育と病院やドキュメンタリーの共通性を気づかせてくれた)『精神病とモザイク』想田和弘
他にも、読み・書き(国語)+教育関連は何冊もありますが、すべて英語なのでここにはリストアップしません。★★★

あなたの今年のオススメの本を、吉田(pro.workshop@gmail.com)にぜひ教えてください。

よいお年をお迎えください。


★ もちろん、個人レベルだけでなくて、学校も含めた様々な組織レベルや国のレベルでも。後者のほうは、どうも停滞気味というか、悪化気味でしょうか?

★★ 原書には、「学力」という言葉などありません! 出版社が「学力」を使わないと売れないと思っているんでしょうか? 極めて日本的現象!


★★★ 日本の読み書き=国語教育の停滞は、こんなところにも表れていると思います。読みたい本や紹介したい本がなかなか出てこないのです。刺激がないので、当然実践もよくなりません。 ある意味、本を読むと本を書くはつながっています。読んでいて満足できるものがなければ、自分で書くしか選択がないということになります。 ぜひ、挑戦してください! Appleでそれをいろいろ成し遂げたSteve Jobsのような発想で!


2015年12月18日金曜日

『理解するってどういうこと?』と『わかりあえないことから』


 『理解するってどういうこと?』の第7章「変わり続ける以上に確実なことはない」には、果てしなく対話する、エリンさんの家族のことが書かれています。支持政党を異にするエリンさんのおじいさんたち。そしてまた、エリンさんも夫とは支持する政党が異なります。しかし、この家族はけっして仲が悪いわけではない。支持するものが違うからと言って、それを敵視するようなことはなく、お互いの言いたいこととその根拠をできうるかぎり理解しようとしています。だから、この家族はとても仲が良くて、お互いのことがよくわかっているように見えます。

これはどういうことなのでしょう?

主義主張が異なるから物別れに終わる、ということはよくあることです。しかし「異なる」からこそ、わかろうとする意思が生まれる。これは、何も政治に関する話に限りません。私たちには、生きている時代も状況も異なる昔の絵や文章、外国の絵や文章を、わかったつもりになることも少なくありません。

 平田オリザの『わかりあえないことから』(講談社現代新書、2012年)に、次のようなことが書かれていました。


私たちは、「心からわかりあう関係を作りなさい」「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」と教え育てられてきた。

 しかしもう日本人はわかりあえないのだ……と言ってしまうと身もふたもないので、たとえば高校生たちには、私は次のように伝えることにしている。

「心からわかりあえないんだよ、すぐには」

「心からわかりあえないんだよ、初めからは」

 この点が、いまの日本人が直面しているコミュニケーション観の大きな転換の本質だろうとわたしは考えている。

 心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。(『わかりあえないことから』207208ページ)


 この本がどうして『わかりあえないことから』というタイトルを付けられているのかを、読者としてわかったつもりになるような一節です。平田さんは、こうした考えを、「協調性」に変わる「社交性」と呼んで、「好むと好まざるとにかかわらず、国際化する社会を生きていかなければならない日本の子どもたちに、より必要な能力」の一つとして位置づけています。平田さんが使っている「共有する」という言葉はparticipateともshareとも訳せる言葉です(もちろん翻訳によって生まれた言葉なので、その逆なのでしょうが)。「共有する」ために「発信」し参加しなくてはならず(particiapte)、「共有する」ためにお互いの話を「聞き」「察し合う」ことが必要です(share)。そして、commnicateという英語にも「共感する、わかりあう」という意味があります。「共有する」を広げるために「共感する、わかりあう」ことが必要だ(communicate)ということにでもなるでしょう。

 『理解するってどういうこと?』第7章に書かれているキーンさんの家族のエピソードが伝えているのも、まさにこのことなのです。対話は、参加し、察し合い、共感し、わかり合うために重要な、さまざまな理解の種類の一つなのです。対話するからこそ「共有する部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」のです。

それは「コンテクスト」を見つけていく努力にかかっているとも平田さんは言っています。平田さんが「コンテクスト」と言っているのは、通常の「文脈」「場面」という意味ではなくて「『その人がどんなつもりでその言葉を使っているのか』の全体像」ということです(『わかりあえないことから』161ページ)。私は、これがあるから「察し合う」(これも、平田さんが大切な能力として指摘していることです)ことが可能になると思いますし、文章や絵の意味をつくり出すことができると思います。

そういえば、『理解するってどういうこと?』の第4章「アイディアをじっくり考える」でサラという小学校の先生はエドワード・ホッパーの『早朝の日曜日』をみて、何も起こらないから全然何もわからないというような意味のことを言っていましたが、オードリーという先生と対話することで、この絵の意味をつくり出す方法を手に入れて、対話が終わるころには最初の頃とは真逆に、『ある日曜日の朝』ではいろいろなことが起こっていて、みるのがおもしろくなったと言っています。彼女は『早朝の日曜日』でホッパーがどんなつもりで描いているのかの全体像を察することができて、つまらないと思っていた絵をおもしろくてたまらない絵だと思えるようになったのでしょう。エリンさんの家族がお互いの魅力をお互いの言葉から感じとり、察し合い、ゆたかに暮らしているように。ホッパーの絵の解釈も対話による相互の理解も、すべて「わかりあえないこと」から始まっていたのです。

2015年12月12日土曜日

「世界で一番の先生」はRW、WWの実践者


  RWWWの優れた実践者であるナンシー・アトウエル氏が、グローバル・ティーチャー賞という、大きな賞を受賞したというニュースが、今年の4月にアメリカPBSで放送されました。★

 そのタイトルは以下です。

【「世界で一番の先生」は、テストや小テストを信じていない】

 こんなタイトルなので、もちろん、報道の中で評価の話も少しでてきますが、それを見ていると、子どもたちの成長の軌跡が分かる評価だと感じます。

 これによると、日々、教師が子どもたちの進歩を評価しますし、評価に使われるポートフォリオには、子どもたちが学びでつくりだしたものや子どもたちの自己評価も含まれます。子どもたちは、各分野で考えたこと、取り組んだこと、学んだことについての質問にも答えます。
 これをインターネットで見ながら感じたことは、かなり理想的な条件なように見える実例から、基本理念を確認することの大切さでした。

  それぞれに教えている場所の事情によって、おそらく、限定的にしかRWやWWを実践できない場合が多いように思います。「それでも、なお」よりよい形・基本理念を心の中に持ち続け、追及していくことを考え続けることは大きい気がしました。

 今回、この報道を見て、RWやWWを実践している先生には当たり前のことですが、私は以下を改めて確認しました。

○ 「選択」の大切さ、そして「選択」は「放任」とは、まったく異なるものであること。

○ RWWWと同じような考え方が、他の教科の学びでも実践されていること。学習者を育てる学び方・教え方であれば、他教科の教え方が変わるのも当然なのかもしれません。
 
○ 「本当の」好奇心、情熱、モチベーションのある「本当の」学び。その道の専門家たち――文芸評論家、作家、数学者、歴史家、科学者等――が取り組むように、学ぶことが語られていました。

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  この報道は、英語ですが、インターネットでも見る・読むことができます。この中にはアトウエル氏のインタビューも含みます。
http://www.pbs.org/newshour/bb/worlds-best-teacher-believe-tests-quizzes/

 大きな賞で、賞金も100万ドルと多額です。

 なお、受賞の大きな理由は、アトウエル氏が1990年に創立した、小さな学校(小学校入学前から8年生まで、日本でいうと中学校2年生)です。そこでは地元の 子どもたちを教えるだけでなくて、この教え方に興味のある全国の教師たちをインターンシップを通して学べるようにもなっています。この学校のHPは以下です。
http://c-t-l.org/

2015年12月4日金曜日

書けない子との接し方

 『読書家の時間』の主要メンバーだった横浜の冨田先生が最近のクラスの作家の時間のエピソードを紹介してくれました。

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今年度は2年生を担任しています。
 どうしても書けない子がやはりいます。おそらく50音がやっと書けるレベルです。例えばAくん。「きゃ・きゅ・きょ」などの拗音や「っ」をつかった促音などは、ほぼ書けません。文章を読んだ感想を書いたり、その時間の振り返りを書いたりする時間になると、視線は壁に向いてしまい、一文字も進みません。
 まずは、僕がAくんと話をして、内容を書いてあげるところから始まりました。薄く書いてあげて、それをなぞる学習です。そうすると、だいぶ集中してなぞり書きをします。また、ノートに小さな文字でAくんの書きたいことを書いてあげると、それを活かして書けるようになるので、そのようなことも日常的にしています。
 Aくんは話す方は意外と上手です。スピーチの時も、カブトムシや幼虫を20匹飼っていて、おうちでカブトムシランドを作っているような話をしました。その数に虫好きの友達から感嘆の声が上がります。Aくんは、生き物で人を引き付ける力を持っているのだと気づきました。
 6月半ばぐらいから作家の時間の「出版」を目標に、お家の方に自分の伝えたいことを伝えようと、クラスみんなで頑張りました。多くの子どもが好きなことを意気揚々と書く中、やはり、鉛筆が止まってしまうのが、Aくんでした。
 もう、とにかく、書くということに対して、体が止まるようにできているようです。これまでの学習経験や、自分の苦手なことについても、心底理解しきっているのでしょう。気持ちが乗らないようです。けれど、僕はAくんは虫関係でとても良い経験をしているということを知っていたので、虫でアプローチしていきました。
私「カブトムシはどう?」
A「もうスピーチでやった。」
 なるほど。授業参観でやったカブトムシネタは、もう2回目は使わないということですね。
私「なんの生き物が好きなの?」
A「カメ」
私「ほう、ほう。」
A「今飼っているカメ。」
私「それじゃあ、絵を書いてみて!」
といって、原稿用紙半分に大きくカメの絵を書いてもらいました。なかなか、子供らしく迫力のある絵。
私「カメってどうやって飼うの?」
A「亀の餌をあげる」
私「噛まないの?」
A「噛まないよ。甲羅をつかめば噛まないよ」
と、亀談義をして、原稿用紙に書いた亀を切り取って、画用紙に貼り付けました。そして、「字を自由に書いて、絵を見た人がもっと詳しく分かるように書いてみて」と伝えたところ、ぽつりぽつりと不器用ながら書きはじめました。
もちろん、促音「っ」など、書けていませんが、まあとりあえずOK。書き始めたことがOKです。一応出版の原稿は完成しました。



 夏休みが明けて、ファンレター交換大会を開くと、Aくんの机の上には、お家の方から、友達から、ファンレターがどっさり。あんなに大きく絵を書いた子どもはAくんぐらいしかいなかったので、インパクトがあったのでしょう。また、文字が苦手な子どもが一生懸命書いたと伝わる文章なので、お家の方も進んでファンレターを書いてくださったのかもしれません。
 Aくんも自分の書いたものにこれほどの反響があるとは、思ってもみなかったらしく、呆然としていました。友達からも、「すげえなあ」と声をかけられています。
 夏休み前の懇談会では、出版された作品にはできるだけファンレターを書いて頂きたいということを保護者会で伝えてあったので、低学年の保護者ともなると、とてもがんばってくださいました。本当にありがたい。先生の励ましよりも、友だちになったばかりの子どもの保護者からファンレターが来る方が、効果があると思います。
 うちのクラスでは、保護者からファンレターが届いた場合、ファンレターのお返事を書くというルールになっています。Aくんは途端に忙しくなりました(笑)。おそらく全部はかけてないと思いますが、不器用なりに頑張って、できるだけ多くの保護者にファンレターのお返しを書いたのではないかと思います。彼の中で何かが成長したのではないかと思います。


 次の出版は12月末かな。Aくんがどんな作品を書くか楽しみです。