2016年11月25日金曜日

優れた読み手を育てるためのシンプルな方法


『読み方指導の本質』★の第4章の主だった内容を紹介します。(数字は、ページ数です。青字は、私のコメントです。)
中心は、優れた読み手を育てるための具体的な方法について、です。

第2+3章はhttp://wwletter.blogspot.jp/2016/05/blog-post_13.htmlですでに紹介しました。

第4章 Teach with a Sense of Urgency  ~ 章のタイトルを直訳すると「切迫感/緊迫感をもって教える」です(いずれにしても、Sense of Urgencyをもっている授業をしているという印象は日本では少ないです!)が、日本の状況を踏まえて訳すと、「ほんとうに必要性を感じるものを教える」というニュアンスかなと思います。要するに、単に教科書に載っているから教えるのではなく、子どもたちにとっても必要性が高いと判断したものです。そもそも、そういう判断も委ねられていないでしょうか? しかし、選択を教師はもっています。それなしで教師とは言えませんから!

42 professional developmentPD)が大切 ~ 日本には教員研修はたくさんありますが、PD=プロとしての資質向上プログラムがほとんど存在しないことに気づいてしまったのが、1990年代の前半でした。
教師が学び続けることを軽視して、いい教育が存在するはずがないのに。
(※ 教員研修とPDの違いは何か? イベントか継続性の違いかがもっとも大きいです。また、教員研修が画一的ないし企画者中心なのに対して、PDは個別の教師のニーズ重視です。★★)

著者の最新の本は、完全にここに行き着いています。もう読み書きを超えて、教師の学びに。 ~ 私は、作家のサイクル=読書のサイクルも、すべての教科や教師の学び、さらには学校経営でも使えると思っています。というか、使わないとまずいんじゃないか、と。

42 優れた読み手を育てるための方法
     多様なジャンルを紹介する
     個々のレベルで読める本をたくさん揃える → 充実した図書コーナー
     たくさんの読み聞かせをする
     教師自身の読書好きを紹介/共有する
     子どもたちが自分の読んだものについて話せる機会を提供する
     たくさんの読む時間を確保する
     何を読むかの選択を提供する
     常に「あなたは読み手です」と子どもたちに言い続ける★★★
     読むことをおもしろくする
     モデルを示し続ける
     読むことを他の教科と関連づける

43 著者が特に重視している優れた読み手を育てるための5つの方法
     教師が読み手であることを示し続ける
     教室内の充実した図書コーナーを用意する
     子どもたちが自分の読みたい本を読めるたくさんの時間を提供する
     本を含めたテキストを理解するために必要な「理解のための方法」★★★★を教える
     こまめに評価して、フィードバックを提供し、各自の目標設定・達成をサポートする
 ~ なんと、日本の国語の授業では、一つもやられていない?! どおりで、読み手は育たないわけ。(※ もちろん日本に読み手がまったくいないわけではありません。ごく少数の読み手たちが国語の授業とは関係なく存在しています。)
   上の42ページの□はどれぐらいやれていますか?

★ Reading Essentials, by Regie Routman
★★ PDについて詳しくお知りになりたい方は、『「学び」で組織は成長する』光文社新書がオススメです。
★★★ これは簡単なことですが、とても大切です。アイデンティティにかかわりますから。作家の時間では、「書き手」ないし作家と呼び続けてください。
★★★★ 「理解のための方法」については、『「読む力」はこうしてつける』と『理解するってどういうこと?』に詳しく書いてありますので参照ください。



2016年11月18日金曜日

「良い質問」を生み出すことを支援するテクノロジー

 『〈インターネット〉の次に来るもの:未来を決める12の法則』(ケヴィン・ケリー著/服部桂訳、NHK出版、2016年)という刺激的なタイトルの本を読みました。原題はINEVITABLE。「不可避」という意味ですね、
 広範で動きの速いテクノロジーが次の12の力を増幅させることになり、それ不可避なことだと書かれてあります。
・ビカミング(なっていく)
・コグニファイイング(認知化していく)
・フローイング(流れていく)
・スクリーニング(画面で見ていく)
・アクセシング(接続していく)
・シェアリング(共有していく)
・フィルタリング(選別していく)
・リミクシング(リミックスしていく)
・インタラクティング(相互作用していく)
・トラッキング(追跡していく)
・クエスチョニング(質問していく)
・ビギニング(始まっていく)
 この本では、この12の力の一つ一つを豊富な例を引きながら論じて、〈インターネット〉以後のテクノロジーの変化が、人間に何がもたらされるのかということがくわしく示されていきます。人間の読書行為に関心がある私は「スクリーニング(画面で見ていく)」が考察されている章をとくに面白く読みました。従来行われてきた読書は、紙媒体の本の「スクリーニング」だという捉え方になります。そのように考えることで、タブレット端末や電子書籍での読書を従来の読書とのつながりで捉えることができそうです。電子的でない「スクリーニング」が従来の読書であると。でも、「本を読むこと」と「スクリーニング」はどこが違うのか。著者のケリーは次のように言います。
 本は熟慮する心を養成するのに良いものだった。スクリーンはより実用的な思考法向きだ。スクリーンで読んでいて新しいアイデアや聞きなれない事実に出合うと、どうにかしようという気にさせられる――単に熟慮するのでなく、その用語を調べたり、画面に現れる友人の意見を訊いたり、違う観点を見つけたり、ブックマークを付けたり、インタラクティブにやり取りしたり、ツイートしたりする。読書する場合には、じっくりと脚注にまで目を通すことで、物事を解析する力が養われた。スクリーンを読む場合は、すぐにパターンを作り、あるアイデアを他のものと結び付け、毎日のように現れる何千もの新しい考えに対処するやり方を身につける。スクリーンで読む場合はリアルタイムの思考が育成されるのだ、映画を鑑賞しながらそのレビューを読んだり、議論の途中ではっきりしない事実を調べたり、ガジェットを買う前にマニュアルを読むことで、買って家に帰ってから後悔しないようにしたりする。スクリーンは現在を扱うための道具なのだ。(『〈インターネット〉の次に来るもの』137ページ)
 ネットワークにつながれたスクリーンを見つめる者はそのことを通して断片を積み上げ(結びつけ?)自分たちの神話をつくり出すのだと著者は言っています。読書も「スクリーニング」の一部かもしれませんが、読書対象がネットワーク化されるなら、それを覗き込むことは「リアルタイムの思考」をつくり出さざるをえません。このあたりに、紙媒体の本が生き残る余地があるように思いますが、どうでしょう? 熟慮したい時に限って、紙媒体の本を選んで読む、ということになるのかもしれません。同じ作品でもスクリーンで読む時と紙媒体で読む時とでは読み方が違ってくるのかもしれません。そして貪欲な私たちはその両方を必要とするのかもしれません。
 『理解するってどういうこと?』で繰り返し示されている七つの「理解するための方法」(関連づける、質問する、イメージを描く、推測する、何が大切かを見極める、解釈する、修正しながら意味をとらえる)と、ケリーの言う「12の力」のいくつかは重なっています。しかし、決定的に異なっているのは、「理解するための方法」が理解するために熟慮する、つまりじっくり考えるためのものであり、対象をわかろうとしてもがいて知的な発見をするためのものだということです。
 著者のケリーは、「良い質問」とは何かということを次のように書いています。
良い質問とは、正しい答えを求めるものではない。
良い質問とは、すぐには答えが見つからない。
良い質問とは、現在の答えに挑むものだ。
良い質問とは、ひとたび聞くとすぐに答えが知りたくなるが、その質問を聞くまではそれについて考えてもみなかったようなものだ。
良い質問とは、思考の新しい領域を創り出すものだ。
良い質問とは、その答えの枠組み自体を変えてしまうものだ。
良い質問とは、科学やテクノロジーやアートや政治やビジネスにおけるイノベーションの種になるものだ。
良い質問とは、探針であり、「もし~だったら」というシナリオを調べるものだ。
良い質問とは、ばかげたものでも答えが明白なものでもなく、知られていることと知られていないことの狭間にあるものだ。
良い質問とは、予想もしない質問だ。
良い質問とは、教養のある人の証だ。
良い質問とは、さらに他の良い質問をたくさん生み出すものだ。
良い質問とは、マシンが最後までできないかもしれないものだ。
良い質問とは、人間だからこそできるものだ。
(『〈インターネット〉の次に来るもの』380~381ページ)
 未来のテクノロジーを扱ったかのように見える本なのに、面白いことに「良い質問」が「人間だからこそできるもの」だという考えで貫かれています。「良い質問」をつくることは人が何かを理解するための重要な方法でもあります。ケリーも言っているように、私たちの「未来」を一人ひとりにとってよりよいものとしてくれるのは、私たちの代わりに「質問」をしてくれるテクノロジーではなくて、「良い質問」を生み出すことを支援するテクノロジーなのだろうと思います。『理解するってどういうこと?』には「良い質問」がたくさん示されています。そういう「良い質問」を生み出すことを支援するテクノロジーとはいったいどういうものなのか? 知的な探究のできる人を少しでも多く育てようとするなら、この問いをみんなで考えていかなければなりませんね。

2016年11月11日金曜日

すべての話し合いを円滑に進める6つのコツ


  同僚や、保護者や、子どもたちとのコミュニケーションに悩んでいませんか?

 内容的には「カンファランスをする時の6つの原則」が正しいのですが、読んでいるうちにすべてのコミュニケーションに応用できると思い、あえて大き目のタイトルにしてみました。
カンファランスは、WWとRWの中心であるだけでなく、ワークショップ形式での教え方・学び方の核となるものです(間違っても、ファシリテーションではありません! ファシリテーターは、対象にやらせる活動の指示を出すだけですから)。
 とてもいいカンファランスの原則を長年WWとRWの実践経験をもつメラニー・ミーアンという人がまとめてくれているのを見つけたので紹介します。これは、その対象がどんな年齢でも(大人でさえ!)あてはまると思います。さらには、どんな教科の授業でも!

1.生徒の隣に座る
 生徒を教師の机に呼んでカンファランスをするのではなく、生徒が作業をしているところに行ってします。この違いは、あまりにも大きいです。主役が誰なのかを明らかにしますから。後者は、「私(教師)が何かサポートできることはありますか?」というメッセージを発信します。

2.書いている内容について教えるのではなく、書き手に教える
 教える内容が、その場限りで終わってしまうのではなく、いま取り組んでいる作品以外にも使えるものであることを殊のほか意識するということです。(さらには、私たちは必要なすべてのことを教えるわけにはいかないので、優先度の高いものに絞って教える必要がある、ということです!)書き手は、一人ひとり(書く題材も、その中に書くことも)違いますから、大変ですが!!
RW(読書家の時間)の場合は、同じように読んでいる内容について教えるのではなく、読み手に教えます。

3.一回のカンファランスで教えすぎない
 一回の数分間のカンファランスでは、一つのことに絞って教えます。理由は、教えすぎたら、生徒が受け取れないからです。でも、あまりにもひどい作品を見たら、直したくなってしまうのが教師の性ではありますが・・・上記の2の原則を思い出して、作品を教えているのではなく、書き手に教えます。書き手は、一度にたくさんのことを言われても受け取れません。通常は教えるポイントは一つ、多くても二つに制限するのがいいでしょう。

4.ほめる。必ずほめることを忘れない。
 誰でもほめられるとうれしいものです。書き手であるということは、自分をさらけ出していますから、とても傷つきやすい存在です。(読み手も、話し手も、ですが。)なので、ほめられることは安心感につながりますし、さらに挑戦したいとも思えます。ぜひ、ほめ方を磨いてください。

5.ほとんど、生徒が話しているようにする
 6つの中で、これが一番大切かもしれません。カンファランスはポイントを絞って、教師が教える時間ではありますが、教師が話している時間ではありません。その理由は、「一番話している者が、一番よく学ぶ」からです。教師は、自分が学ぶためにいるのではなく、教えるために存在しますから、話しすぎてはまずいのです。では、どうしたらいいのか? 教師が教えたり、話したりする代わりに、いい質問を投げかけるのです。そうすれば、生徒たちが話しますし、(教師が話したい内容を含んだ)答えを生徒たちが言ってくれます。

6.時間は短く
 一人の生徒に費やすカンファランスの時間は、3~5分です。それ以上になると、書き手に教えているのではなく、作品に教えている、と思ったらいいでしょう。そして、教えたことについて試してもらうことが何よりも大切ですから、「もしそれを試してみたら、★を付けておいてね。そしたら、すぐに先生がわかるから」と言って分かれます。

 『リーディング・ワークショップ』の中で紹介されているカンファランスの流れ(第6章)は、①子どもの状態を把握する→②教える内容を選択する→③実際に教える(単に言うだけでなく、子どもに試させる→④カンファランスの記録をとる(これからすることを含めて)ですが、この原則を紹介してくれたミーアンさんは、①子どもの状態を把握する→②いい点を指摘する(ほめる)→③教える→④次のステップを明確にしておく、としていました。大きな違いはありませんが、強調点が違います。◆
この流れは、生徒たちも知っていることが大切です。その理由は、自分がカンファランスをされる対象なのではなくて、カンファランスの主役であることを自覚してもらうために、です。
さらには、この手順(原則)は、教師同士のやり取りや指導案検討や研究授業のあとの研究協議などでも使えると思いませんか? このアプローチを使うだけで、雰囲気や関係がガラッと変わるかもしれませんので、ぜひ試してください。

◆ 後者の流れは、http://projectbetterschool.blogspot.jp/2012/08/blog-post_19.html と同じと言えますので、参考にしてください。


2016年11月4日金曜日

本物の書き手たちから学ぶ、説得力




「教師が書き手になる、そのためにできることは?」というタイトルで、2016723日のRWWW便り(http://wwletter.blogspot.jp/2016/07/blog-post_23.html)では、中学校で書くことを教える教師の本から、教師が書き手であることや、そのことを授業にどう活かすのかについて、紹介しました。

 

 その時のRWWW便りの最後に、私が個人的に行いたいことの一つとして、「外部の書き手たちの集まり(私の場合は英語を教えていることもあり、英語の書き手たちの集まり)に 出席すること」を挙げました。

 

 そういう目的を書いたことも後押しになって、この10月下旬、初めて「書き手のための会合」★に、恐る恐る?出席しました。


 
 書き手として活躍している人たちの話は、現実に書くことに基づいていて、説得力がありました。


 逆に聞こえるかもしれませんが、教育関係の学会「ではない」ので、文脈が教室「ではない」のが、よかったような気がします。
 
「明日の授業にすぐにつかえるアクティビィティ」はないのですが、ミニ・レッスンのアイディアも含めて、得たものは大きかったです。WWに関わらなければ、こういう会合にはまったく関心がないまま、一生を終えていたかも、です。
自分が書き手として、いかに狭い世界にいて、いかに経験不足かということをしっかり認識できましたし、書き手としてもっと成長したい!とも、思いました。


 
 私は、5つのセッションに出ましたが、一番面白かったのが、原稿料を払ってくれて、採用されるのに競争率の高い詩の雑誌に、詩を書いている人が、詩の書き方を語ってくれたセッションでした。現実を踏まえての話なので、納得ですし、いいミニ・レッスンをセットで聞いたような印象で、なんだかとても得した?気分です。

 

これを聞きながら、自分の子ども時代に、こんなミニ・レッスンを受けていれば、自分の現在の読み書きはまったく違ったものになっただろうと思いますし、何よりも「こんなふうに教えることができるようになりたい!」と思いました。
 
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 自分を書き手として成長させてくれそうな機会を意識してさがすこと、つくること、その大切さを「実感」でき、こういう機会を続けてさがしたいと思いました。


 見つけるのが難しければ、ちょうどRWに関わる先生が「大人のブッククラブ」を作って楽しむように、自分たちで「大人のライティング・クラブ」(あるいは大人のライティング・ワークショップ)をつくるのも「あり」では?とも思いました。

 

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 ★ 私が今回参加したのは、Japan Writers Conference で、毎年、開催されている、こじんまりとした集まりのようです。同時並行で開催されているセッションも3つ程度です。使用言語は英語で、上で紹介したように、詩人がどうやって出版できる詩を書くのかについても学べましたし、日本の作家の本や日本に関わる本の翻訳をコーディネイトしている人が多くの本を紹介してくれるセッションもありました。教科書を多く出版している人からは、教科書の提案書の書き方やマーケットと編集者の視点も学びました。