2017年6月16日金曜日

物語を書くための本に物語を理解する秘訣を学ぶ!


 キーンの『理解するってどういうこと?』では「推測する」を「本や文章から自分独自の意味をつくり出すプロセス」であり、「読んだ内容とそれまでに自分がもっている知識を結びつける形でつくり出される」としています。しかし「推測する」は、読者が「自分独自の意味をつくり出すプロセス」ではありますが、自分勝手に妄想を広げることではもちろんありません。読み手と書き手との対話的な共同作業のなかで営まれる行為なのです。
 リサ・クロン(府川由美恵訳)『脳が読みたくなるストーリーの書き方』(フィルムアート社、2016年)という本を読んで、そのような思いを強くしました。たとえば、読み手の「推測する」行為をいざなう書き手に「伏線」がありますが、クロンの本には次のように述べられています。

伏線を見つけ、何が起きるかを予測し、そのとおりになれば、賢くなったような気分を味わえる。伏線は、人が持つあらゆる感覚のなかでも最古のもののひとつ、関心という感覚で読者を誘い込む。伏線によって、読者はそこに自分も関わっているという感覚、目的意識の感覚を感じ、何かの一部になったような気持ちを覚える--内部事情を知った気になれる。作者が読者に伝える暗号、それが伏線だ。伏線を見つけた瞬間から、読者は伏線回収につながるパターンを熱心に追うのが自分の仕事だと認識する。そして奔放にそれに取り組み、その時間を余すところなく味わう。寝る時刻を大幅に過ぎても、物語を読み続けてしまう。(『脳が読みたくなるストーリーの書き方』320ページ)

 伏線とは「事実、行動、人、出来事など、将来の動きを暗示するもの」のこと。
 小学校5年生の国語教科書に出てくる、杉みき子の「わらぐつの中の神様」という物語をご存知でしょうか。雪国に暮らすマサヨという女の子(ヒロインです)が、雪が積もっているので「わらぐつ」を履くように言われ、「みっともない」といやがったところ、祖母から「わらぐつ」にまつわるあたたかい話を聞くことになります。この話の場合、冒頭でマサヨが「わらぐつ」を履くのをなぜ嫌がったということが「伏線」となるでしょうし、冒頭のシーンで祖父がお風呂に出かけて不在であるということも「伏線」となるでしょう。祖母の話が終わるころまで、これらの「伏線」は回収される(読者が「つながり」を見つける)はずです。「わらぐつ」を履くのを嫌がっていたマサヨが祖母の話の聞き手になったことやその間の祖父の不在と、マサヨの変化とのつながりを見つけることが「伏線回収」であり、「わらぐつの中の神様」を意味づける行為となります。
 「伏線」だけではありません。『脳が読みたくなるストーリーの書き方』には次のようなことも書かれています。

面白い物語が脳に喜びを解き放ち、人間を混乱のたえない日常生活からきっぱりと切り離してくれるのは、生き残りの観点からみてどんな理由があるのだろう? 答えは明快だ。ほかの誰かが自分の代理として、飛んでくる運命の石や矢に苦しめられているところをのんびりとながめ、その矢が自分に向かってきたらどう避ければいいかを学ぶためだ。(『脳が読みたくなるストーリーの書き方』289ページ)

 どうして面白い物語を私たちが求めて読むのか、それを読む喜びは人生の何の役に立つのかということについての筆者なりの回答が、さりげなくこのようなかたちで随所に置かれているところも、この本の魅力です。そしてクロンの本は、物語を読むことについての本ではなくて、あくまでも物語を書くことについての本なのです! だからこそ、物語を書こうとする「あなた」に対して呼びかけるかたちで書かれているこの本から、読み手として本や文章のどこに着眼すればよいのかということについてのたくさんのヒントをもらいました。この本を読むことで、「推測する」をはじめとする理解するための方法が、読み/書きの両方にかかわるものだということを改めて実感したのです。

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