2017年9月8日金曜日

読書感想文と作文コンクールを葬り去ろう!


これら2つは、単なる習慣の産物? それとも、やらせる側の思考停止の証し?
これら2つの効果は、証明されているでしょうか?

夏休みというと読書感想文と決まっています。
これは、本をなんとか読ませたいという人たちが、親切心から、自分では主体的に読まない子どもたちに読ませるために、考え出したと思われます。
しかし、動機づけとしては最悪です。
私自身、50年以上前に書かされて、そのおかげで、読むことを嫌いにさせられましたから。(もちろん、年に一度の読書感想文よりは、日々の国語の授業のおかしさの悪影響の方がはるかに大きかったですが!)

あえて、この読むのを嫌いにする行為を、読書を推進したい人たちは、なぜやり続けるのでしょうか?

不思議でなりません。
読書を推進したい人たちは、この問いを考えたことがあるでしょうか?
書かせた後に、作品が上がってきて、それで自分たちがすべきことはやった、と終わりにせずに、しっかりフォローアップのアンケートをとれば済むことなのに。

「読書感想文を書いて、次の本が読みたくなりましたか? また、読書感想文を書きたくなりましたか?」

追加で、以下のような質問をしてもいいかもしれません。
「本を主体的に読むための方法として、読書感想文を書くことはいい方法だと思いますか? 他に、より効果的な方法は考えらえますか?」

自分たちで、いい方法が考えられないなら、書かされる当事者たちに聞くしかないです。
書かせる側よりは、いいアイディアをたくさん出してくれるはずです。

読書感想文よりもはるかにいい方法の一つは、「紹介文」です。
感想文のまずいところ一つは、その目的が見え見えな部分です。つまり、読んだかどうかを、教師(主催者)がチェックする、です。

そして、上記の「あえて、この読むのを嫌いにする行為を、読書を推進したい人たちは、なぜやり続けるのでしょうか?」の答えの一つになりますが、「良書主義」という日本の読書教育と読解教育にはびこっているガンです。★
いい本なんだから、いい感想を書かないといけない、というような脅迫観念が付きまといます。そんな中で書かれる(書かされる)文章自体、お決まりのパターンにならざるを得ません。

それに対して、紹介文なら、本当に紹介したいと思わなければ、書かなくていいのです。自分が心底書きたいと思った本についての紹介文こそに価値がありますから。(もし、そういう気持ちがない紹介文は、誰も読みたいとは思えませんし、それは書いている本人が一番分かっていることです。そんな無駄な時間は、誰にも費やさせるべきではありません!)
感想文を読んで、自分も読みたい、となる人はどれくらいいるでしょうか? 紹介文に比べたら、10分の1とか、20分の1だと思います。それだけでも、感想文をやめて、紹介文に移行する大きな理由ではないでしょうか?
紹介文なら、その本を出した出版社も含めて、いろいろなところが使える可能性すらあります。(読書感想文を使いたくなるようなところは、ないと思います!)
新聞等の書評欄を書く人たちよりも、魅力的な文章を書く子どもたちがたくさん現れることでしょう。

いろいろなテーマで書かされる作文コンクールも、上記の読書感想文と、同じ構造になっています。
一度、あるテーマで作文を書かされた人が、コンクールに関係なく、自分で主体的に書くということは考えられるでしょうか?
私たちが子どもたちに期待しているのは、ある特定のテーマで作文を書かせて、子どもたちが書くことを嫌いになることでしょうか? それとも、テーマを引きずって書き続けることでしょうか? さらには、テーマに関係なく(誰に求められるのでもなく)主体的に書き続けることでしょうか?

作文コンクール的なもの(NHKラジオ番組の「地球ラジオ」の「作文かいたよ」も、基本的には同じ!)を書いた人が、「今度は、こんなものを書きました」と主催者に自主的に送ってきてくれることはあるでしょうか? あるいは、そういうことを主催者は、最初から望んで/意図して考えているでしょうか?

本来の目的は何なのか? それを実現する方法は、今の方法でいいのか、を考えたことはあるでしょうか?

同じ時間をかけながら(それは書かされる子ども、書かせる教師、そして主催者や潜在的な読者にとって)、得られる結果は雲泥の差ができてしまいます。

こういう思考停止の事業をやり続ける人や仲介役を担う先生たちにこそ、作家の時間や読書家の時間関連の本 https://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusume  を読んで、子どもたちの中に読むこと嫌いや書くこと嫌いをつくり出すのではなく、継続して読み続ける/書き続ける子を育てる方法でアプローチしてほしいです。


★ 誰にとってもいい本など、あり得るはずはありません!(読むタイミングを変えれば、そういうこともあり得るかもしれませんが。)



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